意拳浅談

意拳/大成拳を研究しています。翻訳は意訳です。

王紅宇先生の著書『永恒的懐念写于恩師去逝一周年紀念』

師父が亡くなる前日、私は家に見舞いに行った。その時師父は眠っており、私は静かに部屋に入った。老人を起こすつもりはなかったが、先生は目を覚ました。いつものように、私を見ると師父は私の手を掴み、私はその眼に無窮の思慮を読み取った。師父は拳を語る時にこのように私の手を引いた。まるで私が突然側から逃げ出すのを恐れているかのようだった。それは親愛の情であり、血縁の関係のようだった。だが全ては過ぎ去った。

師父は各人の名誉や物質的生活に全く心を砕かず、生涯投機的な行動をせず、常に状況に応じて安らかに過ごし、決して強要せず、拳術以外の事にはほとんど関心を払わなかった。誰も彼の前で是非や無駄話をしなかった。それは師父の厳しい叱責を受けるからだ。彼は生涯を通じて伝統拳術のために豊かな財産を蓄積したが、個人の生活は清水のように静かだった。彼は薌齋老先生から学んだ大成の心髄を無私に弟子たちに伝授し、国家に残し、相当数の成果を上げた大成拳家を育成した。

一度、私が師父の拳の写真をたくさん撮り、家に帰って現像し妻と整理していた時、妻は冬に師父が絹の靴下を履いていることに気づいた。その時、私の涙がほとんど流れ出そうになった。妻はすぐに一組の木綿の靴下を買い、私が師父に届けた時、思わず言った。「師父、お歳を召されたのですから、生活はできるだけ良くすべきです」。老人はそれを聞いて淡々と笑い、「拳術以外のことを考える暇はない。享受しようとすれば注意力が散漫になる」と言った。師父の内心は極めて清静な精神世界で、何十年も一日のように清心寡欲で、仏家の悟道や深山での壁観のようで、まさに千尺の深い池の水が波立たぬがごとしだった。師晩年のその行住坐臥、手足の動静の間に拳意を離れず、拳拳服膺を成し遂げた。師は門内の弟子を教授する時、さらに一糸乱れず、極めて厳格だった。

練拳初期、師は私に動物園に行って動物を観察するよう言った。特に虎の動作に注意するように。虎は体が特に緩んでおり、檻の中を行ったり来たりし、体の内側がだらりとしていた。しかしこの外見上の皮肉の緩みや安らかな様子は実は仮象で、真に内に無限の殺機と千変万化を蔵していた。ある時動物園に行くと、ちょうど虎に餌をやる時だった。私は虎もたいしたことはないと思った。目を細め、歩く時は体がゆるゆるしていた。しかし牛肉が檻に投げ込まれるや、「ふっ」と立ち上がり、目に鋭い光を放ち、押さえつけ、その新鮮な牛肉から血が押し出された。

師父は言った。形意拳で言う虎扑子は、まさに虎が餌を捕らえる動作から悟り出したものだ。表面的な類似ではない。人には虎のような鋭い牙や爪はない。どう学んでも本当に虎のようにはなれない。学ぶべきは虎が力を使うこの意味だ。虎扑子は虎扑という動作ではない。出拳、発腿、進歩、退歩すべてが虎扑の意である。

その頃、しばらく站樁をし、体にボクシングの基礎もあったので、また人とグローブをつけて打ち合いを始めた。師父はそれを知ると厳しく叱った。「誰がお前にグローブをつけて断手をさせたんだ。私は一生そんなものをつけたことがない!」そして師父は忍耐強く説明してくれた。「グローブをつけて打つのと素手で戦うのは大きな違いがある。グローブをつけると我々の拳の特徴のないものになってしまう。拳を出すのは、ゆっくりと站樁をして体得するよりも確かに速く見える。お前はまだ站樁をしているところで、体にちょっとした感覚が出てきたところだ。彼らはもう振り回せるようになっている。お前はこの時、まだ彼らに勝てないかもしれない。しかしこれは違う。これは武術ではない。例えば、お前が小学校を卒業して仕事を見つけたとする。他人は中学を卒業してもまだ貧乏学生で、カバンを背負って家にお金を求めて学校に通っている。他人は中学を卒業して大学に行くのにまだ家にお金を求めている時、お前は月に数十元稼いでいるかもしれない。しかし他人が大学を卒業して博士になったら、お前は永遠に追いつけなくなる」(師父の比喻は、当時の経済状況を指している)。

師父の話を聞いて私は目から鱗が落ちた。それ以後、私は師父の教えに従って順を追って站樁、摸勁、歩行で基礎を作り、その後の搭断手へと進んだ。過去の出来事が目に浮かぶ。師父は私にそれほど行き届いた配慮をしてくれた。私は彼から本当に多くのものを得た。

私の人生で選傑恩師に出会ったことは人生の明かりだった。師の前で教えを受けた日々を思い返すと、私は彼の教えを聞き、彼の足跡を踏みながら一歩一歩前進してきた。今思い返すと、常に払拭できない、忘れがたい思い出が心に残り、長く心に巡る。その中には辛酸や苦渋も少なくなかったが。

師は永遠に私の人生の旅路における導きの灯であり、永遠に私を光明へと指し示す。私は非常に幸運だった。恩師の拳術の心髄を得て、それによって私の人生の軌跡が変わり、私の思想が洗練された。彼は私に厚い期待を寄せ、私に力を与え、永遠に私を導き、事業の道において勇往邁進させる!

本文は『武魂』誌2001年3月号に掲載され、記事内容は若干改変されている。