意拳浅談

意拳/大成拳を研究しています。翻訳は意訳です。

不同的意念活動:開発不同的潜能(『意拳的奥妙』より)

站樁時に温水に浸かっている快適さを想像すると、手のひらが膨張する感じがするのに対し、「斂神聴微雨」という意念を持っても手足が膨張しないのは、異なる意念活動は身体に異なる影響を与えるためである。

実際に、王薌齋先生が言及したこの種の意念活動は、健身において異なる利益をもたらし、武術搏撃においては異なる潜在能力を開発することができる。

(1) 意念窟慑力とは、どのような意念活動によって開発されるか?

意念窟慑力とは、相手との対抗性のある身体接触競技において、自身の特定の情報によって相手の競技能力を乱す能力のことである。意念窟慑力の形成は二つの段階で進行する。王薌齋先生は「己の身から離れば何も求めることはできず、己の身に執着すれば永遠に正しいところはない(=離開己身無物可求、執着己身永無是処)」「すべてが自身に備わってから、身外に求める(=自身皆具備、反向身外求)」と述べている。

笫一歩 先求己身

沐浴温水の意念活動は、気血を充満させ、元気を促進する効果がある。元気は先天的に受け継がれ、後天的な養生によって滋養される。温水で沐浴する、あるいはシャワーを浴びるという意念活動は、人体の造血機能、微小循環、内分泌の良性調整に明らかな効果があり、節欲による精力の養生と徳性の修養と組み合わせることで、練功者の気血が全身に行き渡り、「反向身外求」に必要な条件を準備する。人体の元気は人の情報を運ぶ媒介であり、元気が充足しているときにのみ、大気や宇宙との呼応が可能となる。一部の練功者は、養生樁の段階の練習を重視せず、技撃樁の練習をすぐに始めるが、これは体内の気血が充足しておらず、「神意足」の段階に達することができないため、場合によっては身体の健康に悪影響を及ぼすこともある。これは、水を沸かす蒸気鍋に例えると、水が満たされている時は蒸気で蓋が持ち上がるが、鍋に水がなければ、蓋は持ち上がらず、鍋自体が燃える可能性があるようなものである。

笫二歩 反向身外求

この時の意念活動は、身外の自然界の景観に焦点を当てるものである。例えば、青松や翠柏、青空や太陽、緑の草や鮮やかな花などである。これらの意念活動を通じて、心が広がり精神が爽快になり、大自然と一体となる無我の境地に達する。練功は、公園の静かで清らかな場所で行うとよい。そこで直接上記の自然の景観と接触し、松静自然の中で、体内の気血の循環を観察しながら、身外の虚霊と争力を感じ取り、意念で大自然と呼応する。徐々に本能が発動し、霊光が現れ、技撃の基礎が自然に備わる。大自然と呼応できるようになると、周囲の生物や一部の非生物、例えば液体などとも呼応することができる。人体は約70%が細胞質で構成されており、意念はこれらと呼応する。これにより、「意念は断たれず、霊は散じて使われる」という効果が得られる。対戦相手との接触前に、既に相手の精神状態に影響を与えることができる。

身内と身外の意念活動においては、上述の練習を行住坐卧で行い、拳拳服膺の境地に達する必要がある。また、陰陽は互根互补を考慮し、「収視返聴」、「斂神聴微雨」という意念活動の練習と組み合わせることが重要である。

(2)遥感潜能は何の意念活動の開発によって生じるのか?

遥感は相手の動こうという勢を察知し、後発先至の条件を作り出す。この潜能もまた、二段階で練習される。

笫一歩 先求己身

「収視返聴、鍛錬神経」の意念活動は、遥感を含む人体の潜在能力を開発するにあたり、特異な効果を持つ。まず呼吸の調整から始め、目は半分閉じ、呼吸を均等で細かく深く長くし、内側で静かな息の音を意念で聞く。そして五臓六腑、四肢百骸に意念を集中する。一つ一つを放松させ、それらが放松した状態での変化や音を観想する。意念は重くあってはならない。五臓六腑の滞った気を取り除き、全身を通じて精神を敏感にし、動静が微細であっても明確に察知する。

笫二歩 反向身外求

収視返聴の意念活動の基礎の上に、さらに体外へと意念を向け、斂神聴微雨の意念練習を行う。近くから遠くまでの市声、静かで穏やかな音を聞く。このような日々の積み重ねによる練習は、神経系の機能の秩序性と敏感性を鍛え、遥感の潜能を開発することができる。技撃の中で、相手がわずかでも動こうとする勢があれば、すぐに心が察し、後発先至の反応を即座に出すことができる。尤彭熙先生は1930年代に上海で王薌齋先生の門下に入った。人々は彼を「神拳尤彭熙」と呼び、彼とその弟子たちは搏撃の際、相手の攻撃意識の時間と空間を遥感することができた。上海で何度もこのような実験を行い、ビデオの記録もある。師弟間で壁を挟んで立ち、互いに見えないが、一方が攻撃すると、壁の向こうの人が即座に反応することができた。時間の接続は非常に正確で、これこそが「一つの羽も加えることができず、蠅虫は落ちることもできず、人は我を知らず、我独り人を知る、英雄の向かうところは無敵なり」という境地である。

(3)「仮借宇宙無窮力」とは、どのような意念活動によって開発されるのか?

王薌齋先生の放人は、絵を掛けるようである。その速度と力の潜能は、神光が旋回する意念活動と地心との争力によって生じる。光波が己身と宇宙を結びつける「神光旋回」の意想で、天地人が一体となり、宇宙の無窮の力を借りることは、技撃の速度と力の潜能を高める練習方法である。

まずは養生樁の松静無為の状態から練習を始める。

①任督二脈を使って体を左右の二面に分け、神光が中線から左右の二面へと旋回すると想像する。同時に時計回りまたは反時計回りで旋回する(図12)。

 

波はゆったりと高く上がり(=悠悠揚揚)、回転を続け、全身上下に百繞重線となり、体内で「神光」が堂風のように行き来し、快適で通じる感覚を持つ。左右の光波は動きながら矛盾と円融を持ち合わせる。(図13)

「神光」は徐々に左右の体の外へと広がり、より広くなり、宇宙と呼応し始める。光波は宇宙から自身へと回転し続ける。矛盾と円融を持ち、光波の往復には松緊の意があり、自身に左右の争力を生じさせる。

②任督二脉を90°の角度で垂直にし、身体を前後二面に分ける。神光がこの中線から前後の二面に旋回すると想像する(図14)。

波はゆったりと高く上がり、回転を続け、全身上下の関節に百繞重線となり、体内で神光が堂風のように行き来し、快適で通じる感覚を持つ。前後の二面の光波は動きながら矛盾と円融を持ち合わせる。神光は徐々に前後の体の外へ広がり、より広くなり、宇宙と呼応し始める。そして光波が宇宙から自身へと回転し続けることを想像する。矛盾と円融があり、光波の往復には松緊の意があり、自身に前後の争力を生じさせる。

③「神光」が身体の上下両面を通過し、上兜下墜で、同時に時計回りまたは反時計回りで旋回する。体内で「神光」が堂風のように行き来し、快適で通じる感覚を持つことを体認する。光波の運行には矛盾と円融があり、「神光」は徐々に上下に拡大し、より広がり、天地と呼応し、宇宙の高みへ、地心へと至る。そして、光波が天地から自身へと回転し続け、矛盾と円融があることを想像する。光波の往復には松緊の意があり、自身に上下の争力を生じさせる。

④「神光」が身体の周りで離合しながら旋回し、上兜下墜で、縦横に汪洋として、天地宇宙と交融する。六面の争力が螺旋を起こし、ゆったりと高く上がり、快適で通じる感覚を持つ。「神光」の收展中の波の松緊の力を体認し、複雑に交錯し、矛盾を感じないことがなく、円融でないところがなく、宇宙の無窮の力を假借し、天地人は一体となる。この意念活動は技撃の基本姿勢へと拡張され、自身の速度と力噩をより高い水準で開発する基礎を築く。以上は異なる意念活動で、異なる潜能を開発するための簡潔な説明である。試力、発力、推手、実戦でより直接的で詳細な体用が行われる。

彭振镝編著『意拳的奥妙』北京体育学院出版社より