意拳浅談

意拳/大成拳を研究しています。翻訳は意訳です。

フルコンタクトKARATE2002年1月号

太気至誠拳法 技撃正要

  • 登場する先生
    • 岩間統正
    • 高木康嗣
    • 佐藤聖
    • 長谷真介
  • 内容

印象に残った言葉

(澤井)先生は常に弟子たちをいろいろな相手とぶつけたがったんですね。何のためにぶつけるかというと、武道が本当に戦った時にどうなるかという急所のところを知りたかったんじゃないでしょうか(岩間統正)

先生は全部考えているわけですよ。そういうことを。だから色んな武器との戦いも含めて研究してたみたいですね(岩間統正)

武道は完璧な受けを身につけなきゃ駄目だ(澤井健一

(大きい人間と対するには)基本的には相手の力を限りなくゼロにしてしまって自分は相手を打つという、えらい虫のいいことをする以外にないんですよ。えらい虫のいいことじゃないかと。でも虫のいいことをする以外に、自分というに人間が相手の前に生きて帰れないわけですよね(岩間統正)

ところが一番大事なのはレーダー的な役割なんですよ。手が触れた瞬間に次の行動を決める。それから単純な武術家の誤りは、例えばこちらが左手で打ったのを相手が左手で受けたとする。その時に、相手の右手も足も気をつけなきゃなんないと、あちこちを気にするわけですよ。そういうことを気にした行動をとるから無駄がいっぱい出る。ところが私の場合、自分がちょっと相手の腕に触れたときには相手はもう崩れているから残りの手と足は絶対動かない。瞬間的に全く発動しないと完全にこっちがわかってれば、パッと触れたときに、他は無視して次の行動に移ればいい。これがもの凄い違いなんですよ(岩間統正)

構えにしてもね、構えってのは、"構え有って構え無し"で、固定した構えをビッとやった瞬間に、私から見たら無防備と同じなんです(岩間統正)

硬く構えてくれてくれれば、構えてくれるほどやりやすいです。むしろなんか構えていないような、空間を漂うクラゲみたいなね、なんとなくフワフワしてて、それでいて瞬間的にピャッと体が変化して、そういうものの方がやりにくいですよ(岩間統正)

澤井先生自身、中国で大成拳だけをやったかというと、そうじゃないですよ。あの覗きたがり屋の先生ですから、ありとあらゆるところに暇と金に飽かせて行ったんですよ。月謝は安いですし、金持ちでしたから。色々やってみたけど、最終的に先生が納得したのは大成拳だったわけですね(岩間統正)

澤井先生自身が四ラウンドのボクサーで、王向斉先生に柔道でやってもかなわないから、日本にはボクシングっていうのがあります。ちょっとやっていいですかってやったら吹っ飛ばされちゃった。打ったパンチがみんなここに帰ってきたって言うんだよね。そしたらちゃんと書棚にね、西洋拳闘術って本があるんだって。柔道も講道館柔道、剣道も大日本帝国剣道型とかね、みんな研究してるんだって。各国の武術を一通り研究してる。で最後に言ったのは、日本の剣道には気があると、柔道には気はないとかね、そんなことを言ったらしい(岩間統正)

君ね、仮に隣の奴がばっと拳銃抜くとする。パッとまず見るだろうと。わしはパッと見たらパンとまず落とす(澤井健一

わしはパッと目に着いた瞬間に間髪入れず、もし引き金を引かれたら死ぬとか生きるとか考える前に、拳銃の銃口が目に映った瞬間に手が飛ぶ(澤井健一

要するに心理だと思うんだ。心理的に抑圧を徹底的に与えといて、人間てのはその反発力があるでしょ、精神に。解放されたいっていう。徹底的にプレッシャーを与えといて、その解放したいって反動力を、瞬間的にぴゃっと発勁で出そうとするわけですよ(岩間統正)

僕は形状記憶合金って言ってるんですが、要するに一つの基準になる形を作るんですね。それで、シャッと形がもどる。乱打のときに必ずスッと調整できる。これが這の大きな目的なんです(岩間統正)

這をやると脚がカチカチになっちゃいますから。後で徹底的にマッサージしてほぐすんです。出ないと蹴りが出なくなっちゃうでしょ。必ず一つの練習っていうのは、裏と表があるんですよ(岩間統正)

蹴りは取られてひっくり返されるからやめろとかいって、太気の若い練習はやめる。そんなことないですよ。やっぱり蹴りが全くないものは脅威じゃない。蜂は刺すから嫌なんですよ(岩間統正)

澤井先生もそうだったように、あれやれ、これやれと言うことは一切なく、ただそれを見た我々が「あぁ、あれいいなぁ、ああいうふうに動けたらいいなぁ」と思って練習する。だから、今の至誠塾でもそういった感性を大事にした教え方をしています(高木康嗣)

で、一番よくわかったのは、例えば澤井先生は(中略)すべての関節が1cmずつ動いて、その合計として10cm前に出るんです。それでこれを見たときにこれはもう駄目だ。こんなことできないと思ったんです。闘いのなかでのすべての動きがそうなってるんですから(高木康嗣)

そしたら中国で意拳の先生を見てたいたらわかっちゃったんですよ! なーんだ、こんな簡単なことだったんだ! とね。ほら三節棍ってあるんじゃないですか。五節棍でもいいんですけど、3本なり5本の棒を1本のひもが通ってて、そのままだとバラバラなんですけど、そのひもを引っ張るとバシーっと1本の棒になりますよね、これなんです(高木康嗣)

闘うときには相手に合わせない、必ず外す、ずらす。そのためにはどうするか? 中心に力を送るということだけを訓練する。相手の中心は油を塗った玉のようにクルッ、クルッと回転していますから、これは難しいことです。それで中心を打つということができるようになれば今度は外す、ずらすということは簡単なんですね。澤井先生はピンポイントでこれを打ち抜くことができました(高木康嗣)

(澤井先生は)私が動こうと思ってそれが肉体に反映される間にそれを読んで動いているんでしょうね(高木康嗣)

だから打とうと思ったときにはもう打っている、というぐらいにならなくてはだめなんです(高木康嗣)

連打を例にあげると、カラテの場合ワンツーはどんなに速く打ってもワンツー! ですよね。でも太気拳意拳はこう……ゥワーン!! とワンモーションで3発打ちます。そのへんが大きな特徴であり、これは瞬発力に頼るだけではできないことでもあるかと思います(高木康嗣)

私は直接お会いしたことはないのですが、姚宗勲先生なんかは人間バレーボールをやっちゃうというんですよ。木に向かって斜め上に相手を吹っ飛ばし、ぶつかったところで両手首を掴んで引き戻し、再び木に向かって吹っ飛ばす。ちょうど壁に向かってトスの練習をするようなもんです(高木康嗣)

腕の筋肉に頼らずに、全身が繋がっていれば理屈ではできるはずなんです。腕は単に力を伝達させる道具であり全身の力で相手を持ち上げていると考えれば良いのです(高木康嗣)