意拳浅談

意拳/大成拳を研究しています。翻訳は意訳です。

発力(『意拳的奥妙』より)

意拳の発力は、意念假借と筋肉激蕩の二つの過程を通じて達成される。意念假借は、有限の空間から無限の空間へと逐次的に、速度と力量の潜在能力を高水準で開発する過程である。筋肉の激蕩は、站樁、試力などの松緊と協調性の訓練を通じて、瞬間的にエネルギーを発生させる能力を増加させるものである。意念假借は筋肉の激蕩に作用し、宇宙の無窮力を假借し、力は火薬のように爆発し、神速で比べられるものはない。王薌齋先生はこれを「超速運動」と呼んだ。これは意念上の「神光」が旋回する中で生じる効果であり、有形では力は散じ、無形では神が集まる。表面から見ると、形体は不動に見える。高速で回転するローラーのように、速度が極限に達すると、外見は静止しているように見える。この観点から発力を理解すると、形は外に現れず、力は出尖せず、断続することなく、軽重方向の感も許さない。発力には含蓄があり、聴力を持っている必要がある。身体の松和を保持することが重要である。

発力の先導は、全身の毛髪が道を探るかのように想像し、触れられた瞬間に、神光が身体の上下の枢軸の曲折で旋回し、まるで巨風が木を巻き込むように、抽抜の力を生じ、鋒棱の波浪と筋肉の激蕩と相互に作用する。雷鳴が鼓舞し、鱗の甲冑や霜の草木のように厳格である。

しかし、発力の練習では、浅から深へ入り、有形から無形へ到り、力量の来源と発力の各要素を明確にし、練習中に意念の活動を有機的に組み合わせて、身心を統一し、水準を向上させる必要がある。

彭振镝編著『意拳的奥妙』北京体育学院出版社より