意拳浅談

意拳/大成拳を研究しています。翻訳は意訳です。

『姚老意拳講話録音資料』(9)

発力について話しましょう。発力の要求は一体何でしょうか? これは、先ほど説明した試力で模索した阻力に関連しています。最も単純な形の試力には、動かずに行うものや、歩法と組み合わせるものなどがあります。多くの意念が関与しますが、簡単な例を挙げます。他の拳法にもあるような、例えば太極拳の手で球を揉む動作などです。ただし、これとは少し異なります。私の師によれば、揉む球の形状や大きさ(楕円形、扁平、または正円など)、球の質量の軽重は、私たち自身の意念によって決まります。試力を行う際、手は球を揉んでおり、この球は手の下にあると明確に感じます。私は意念を使って、この球を非常に重く感じますが、それを揉むと実際には非常に軽く感じます。これを比較してみるとよいでしょう。この最も単純な形の発力は、球を揉んだ時に感じる重さを利用することです。もし力を用いて一撃を加えれば、その球を相手に向けて投げつけることになります。これは、大きな鉄球を相手にぶつけるようなものです。腕は外にあり、鉄球は内側にあります。球の重さを利用して、相手が支えきれなくなります。

発力は掌だけに限らず、拳を使うこともあります。拳での発力は非常に強力です。この部分で発力すると、整を使います。肩で発力する場合は肩で打ちます。背中から臀部を使って発力する場合、臀部で発力します。最も重要なのは腿です。自分の練習時間や功に応じて、発力できる部分が増えていきます。拳での発力は私にもできますが、人を投げるときの発力とは異なります。人に放つ場合は打撃力であり、先ほどの方法を取らず、極めて短い時間内に最大の力を発揮することが求められます。これは現代で言う「爆発力」に相当します。

彼の考え方では、この拳術は間架に基づいています。散打について話すなら、両腕の前部分は使わないと想定します。両腕はまるで二つの大きな鉄釘のようで、前の手が釘です。これは敵に近いからです。身体はまるでハンマーのように想像します。この二つの部分は、発力する時に形を作り出します。自身の体の力量を使って、前の手に猛然と衝撃を与えます。この勁は小さいですが、意念が必要です。また、これを行う際には、頭も同時にぶつける(=撞)必要があります。同時に足を強く踏み込みます。発力の瞬間に強く踏み込み、踏み込むと同時に足を持ち上げます。これは、車がブレーキをかける時の力に似ていて、パッと一瞬で終わります。この力量は、両手の間にある手に握ったバネや縄を、発力の瞬間にパッと一瞬で引きちぎるようです。この力は脆く、貫通力が必要です。

練習時には、最初は動かずに立って、拳を軽く握ります(=虚握拳)。手を引き戻して(=回拉)いけません。手が上がるので、動き出すときは非常に脆くなります。要求されるのは「一度緊張したら即座に発し、発力したらすぐに止まる(=一緊即発、一発即止)」ことです。停まった時でも連続して発力できるのが、拳の発力です。