意拳浅談

意拳/大成拳を研究しています。翻訳は意訳です。

林肇侖先生の著書『姚宗勲拳学思想研究』

姚宗勲先生(1917-1985)は現代の著名な武術家であり、北京市武協の顧問を務め、北京市意拳研究会の会長であった。意拳(大成拳)の創始者である王薌齋先生の衣鉢を受け継いだ人物である。姚宗勲先生は王薌齋先生から拳道の真髄を受け継ぎ、数十年の実践経験を積み重ね、多くの技を取り入れた。科学的研究に参加し、意拳を絶えず革新し、日々完璧に近づけ、意拳の発展史および中国武術の発展史において重要な役割を果たした。恩師の生誕85周年および死去17周年に際し、先生を偲び、この文章をもって天の霊への慰めとする。

(一)古為今用、去蕪存箐

意拳の魅力は、歴史ある中国伝統文化に由来し、広範で深遠であり、包容力があり、実効性が高く、現状に決して満足しないという特性を有している。姚宗勲先生は、王薌齋先生の拳学思想を受け継ぎ、発展させ、意拳の伝統文化の内涵に常に高い関心を寄せていた。彼は旧来の拳学体系を徹底的に分析、研究、改革し、薌齋先生と共に拳学の全く新しい体系を創立した。姚先生は常に伝統文化の主脈を把握していた。つまり伝統の渾元思想、即ち「一」の思想である。先人は「その一なるものは、道の根であり、気の始まりであり、命の所在であり、衆心の一である」と言った。彼は意拳の精神的実質は「一」であり、宇宙間の万物の変化(拳術の各種変化を含む)は「一」から派生したものであると考えた。老子によると「道は一を生じ、一は二を生じ、三は万物を生じる」。道とは宇宙間の総則である。「-」は渾元の気であり、「=」は陰陽であり、「三」は陰陽の調和と変化である。二つの対立する要素が非常に調和のとれた動的な平衡状態にある時、互いに影響し合って、絶え間なく変化を生み出す。姚宗勲先生は、「一」の思想の下でのみ拳術の「二」、すなわち「陰陽」と「松緊」「虚実」の矛盾が生まれると考えた。また、「松紧」と「虚実」が人体の基本的な矛盾を構成し、力、速度、霊活、協調、持久力などの運動能力はすべて、人体の意識と筋肉の「松緊」によって制約されると考えた。したがって、意拳の全ての訓練内容は、どのように正しく「松緊」を把握し、運用するかという問題であり、いわゆる「松緊」は筋肉の松緊であり、精神の松緊であり、心理の松緊であり、そしてまず精神の松緊である。

何故なら、あらゆる筋肉活動は神経によって支配され、神経は精神意志に影響されるからである。したがって、精神意志の控制が最も重要である。站樁においても、その鍵は「松緊」の矛盾の建立と転換にある。站樁功は技撃と健身の両方において使用され、まるで全く異なる二つの問題のように見えるが、整体と系統から考えると、それは一つの問題の二つの側面に過ぎず、ただ松緊の矛盾が相互に変換する方向と程度が異なるという技術的な問題である。ここで指摘されるべきことは、松緊矛盾の「転換」がいわゆる「三」であり、拳術の各種変化は「松緊」の矛盾の転換から切り離すことができないということである。即ち、「三は万物を生じる」。実戦技撃で必要とされる力、速度、反応、耐力などの基本的な運動能力であれ、健身や保健での身心の調整、疲労回復、微循環や新陳代謝の調整であれ、その運動の基本的な単位は依然として「松緊」の矛盾であり、松緊矛盾の確立と転換の「鍵」は精神の假借と意念の誘導にある。したがって精神と意念の控制が最も重要であり、それによって再び「一」、すなわち伝統の渾元思想に帰結する。したがって、姚先生は意拳の実践において、常に「一」の字を強調してきた。即ち、天人合一の思想である。

姚宗勲先生は拳学実践において、常に「かすを除いて粋を残す」「粗を捨て精を取る」という精神的内涵を把握していた。また、「文化伝統の止揚」という精神の実質にも深い関心を寄せ、伝統拳術の不合理な部分は大胆に捨て去り、合理的で正確な拳学体系を構築することを強調した。具体的な操作においては、非常に慎重であり、実践と教育の中で繰り返し検証した後に、より合理的で精緻な方法で既存の技術を置き換え、より簡潔で実用的、科学的な拳学技術体系を徐々に構築していった。今日に至るまで、意拳の核心思想である伝統の渾円思想の内涵と外延はほぼ全ての分野に拡大し、時代の発展と科学の進歩に伴い、さらに多く、より良い科学理論が渾円思想に融合し、意拳の実践活動をより良く指導することになる。

薌齋先生と姚先生の共同の努力により、意拳は伝統套路の訓練から解放され、科学的な訓練方法を見つけ出した。それは、站樁、試力、発力など一連の合理的な訓練内容であり、常に「意」の字を貫き、「不動、微動、大動」という系統的な運動の軌跡の中で、いつでも「ばねでないところはない(=無点不弹簧)」の爆発力を発することができる。認識が明確で、目的が明確で、方法が合理的であるため、意拳は伝統的な套路と招式の訓練効果を遥かに上回る新興の拳学となった。

(二)洋為中用、発展創新

姚宗勲先生は、拳学の実践の中で、現代拳法の長所を絶えず取り入れ、特に現代体育科学の研究を行い、自己の学識を充実させた。姚先生は、1930年代に系統的な高等教育を受け、伝統拳術や拳理、仏、儒、道、医の理論を学び、さらに大学やキリスト教青年会陸上競技、球技、ボクシングなどの現代体育項目を系統的に研究し、実践過程で運動学、生理学、心理学、運動力学、神経医学、運動訓練などの関連理論に熱心に取り組んだ。姚先生は長期の実践を通じて多くの有益な探求を行い、一生を通じて多くの国内外の拳術の高手と多次にわたる比較を行い、実戦格闘中に他民族の拳術の優劣を実地で研究し、その中の優れた科学的な部分を取り入れた。意拳の訓練では、これらを取り入れ、合理的で効果的な方法で自分のものにして補充し、科学的な態度で他民族の格闘術や現代体育項目を見てきた。形意拳八卦掌太極拳長拳などの優れた伝統拳術を継承し、優れた拳種の精髄を適切に取り入れ、その栄養を吸収し、意拳に中国伝統武術と世界の他民族の優れた拳術の先進的で科学的な特徴を兼ね備え、徐々に東西の格闘術が相互に補完し、相得益彰する中西合壁の典型的な風格を形成した。

姚先生は、拳術の訓練では、訓練の手段、用具を実戦状態に近づけるべきであり、訓練と実戦の距離感はできるだけ縮めるべきであると提案された。また、対練と用の統一性を高め、練、用、養の弁証関係の再認識を強調した。このため、既存の基盤の上に、長期にわたり練、用、養の自然な統一を研究し、実践し、より広い範囲の空間と時間で推進し、実用的で革新的な道を歩み出した。彼は、「正統」と見なされていた一部の伝統的な訓練方法と手段を思い切って捨てた。実効性を高めるために、現代格闘訓練の道具、用具、保護具、先進的な手法を大胆に導入し、意拳の先進的で合理的な方法と上手く融合させた。

当時、姚先生は先農壇体育場で生徒を訓練していた際、中長距離走の訓練で体育場の外の環状道路を走りながら、車のブレーキのような伝統的な慣性発力などの動作を行うよう要求していた。保護具や拳套を身に着けることに対して、武林界では以前からいくらかの提言があった。しかし、30~40年代には、姚先生は既に防護用具や手靶、足靶などの器材を科学的かつ合理的に意拳の訓練に使用しており、その有効性は今日、海外の格闘技の大量実践や近年の中国武術散打の訓練成果によって証明されている。同時に、意拳の站樁、試力、発力、試声、歩行、推手、散手などの系統的な訓練方法の機能分類においても、有益な探求、帰納、総括、発展を行っている。技撃の実戦交流では、姚先生はしばしば相手に拳套を着用しないことを許可し、自身は拳套を着用して相手を保護したが、交流後には相手は畏怖し尊敬の念を持っていた。

姚先生は実践の観点から意拳の訓練方法と手段を絶えず充実させ、向上させ、理論内容も同時に完全にした。渾元力の訓練では、体内のエネルギーの集積、蓄積、分配、総合的な利用、および物質エネルギーと精神・意感との関係など、一連の問題が拳術訓練の最も重要な内容である、と提案された。彼は精神意念の支配が内在エネルギーと潜在能力を十分に発揮し動員することについて、研究見解を大いに語った。また、意念の誘導や假借、精神の刺激が物質エネルギーの開発、調整、動員、運用の基本であり、同時に互いに依存し、促進する関係があると提案している。精神と肢体の松緊転換の問題を研究する際、彼は松緊転換の「質量」が人体の力、速度、敏捷性、調和、耐久力などの運動能力と素質に直接影響を与えることを強調した。さらに、意念誘導と假借の独特な手段を通じて、松緊の相互転換の全内容を貫徹し、体の各項目の体能と素質の全面的な向上を目指すべきだと提出した。そして、精神、意感と形体の間の正確かつ客観的な把握を要求した。同時に、拳を習う者には、整体と局部、明確と曖昧の弁証関係を正しく扱うと同時に、運動中の整体性と曖昧性の統一を正確に理解し把握することを注意するよう求めた。

また、拳学の水準の高低は、「火加減」の理解と把握にあると強調している。実際の運用において、彼は伝統的な渾元力の訓練と現代の体育の体能や運動素質の訓練の距離を縮める方法に大いに注意を払い、積極的に具体的かつ効果的な措置や方法を採用し、意拳の訓練方法の内容を大いに豊かにし、運動訓練学の深さと適用範囲を拡大し、伝統的な訓練と現代の体育訓練体系に固有の欠点を補い、中西の訓練思想の融合と交差の中で相互補完と向上を実現した。姚先生は北京市体育科学研究所と協力し、意拳の構架と訓練方法体系を体系的に研究し整理し、意拳の普及と向上を促した。姚先生はまた、国家体委と北京市体委と共に、意拳の訓練方法の独特な内容を陸上競技、水泳、重量挙げ、射撃、サッカーなどの現代体育運動の訓練に具体的で巧妙で適切に応用し、良好な成果を得た。例えば、射撃選手を訓練する際には、意拳の「精神のてこ拡大させる(=精神杠杆放大)」の訓練原理を利用し、意念で選手の手の銃と的の中心を直接連結させ、命中率を高め、選手の成績を大幅に向上させ、ある大会で上位に入った。姚先生は薌齋先生の拳学思想の基礎の上で、その学説に多くの補充と完善を行い、それをより成熟で科学的にした。意拳体系は、数世代にわたる不断の努力により、絶えず完全で進歩している。

(三)執着進取、 永不満足

姚宗勲先生は、先人の拳学理論に対する理解と把握を、生涯を通じて実践し、探求し続けた。また、細心の注意を払い、熟考し、反復して検証し、現代科学理論を参照して、より先進的で合理的な拳学理論の体系を提案し、古い体系に取って代わるものとして、拳学の具体的な実践を指導した。姚先生は、拳学を研究するにあたり、一生を捧げ、常に精益求精の姿勢を持っていた。彼が生前に語ったように、「拳学を一生見つめてきたが、自分に満足したことは一度もなかった」という。姚先生の拳学の人生は、絶えず進取を追求するものであり、自らの学生にも積極的にその道を導き、学生たちに彼の未完の事業を継続するよう熱心に望んでいた。彼は学生たちに何度も「拳学家になるように、ただの打手にはならないでほしい。私を超えることが私の希望だ」と語った。意拳や大成拳の称呼についても、彼は何度も「学びには終わりがない、大成など存在しない」と語り、薌齋先生が後に「拳学」と称したことに対して、学術的観点から賛同していた。

姚先生は拳学技術体系において、精益求精の探求を行い、どんな微小な動作であっても「火加減」の把握を求め、完全で適切であることを目指した。同時に、拳学理論体系にも非常に重きを置き、熱心に探求し、細かく把握していた。努力を惜しまず、『拳論』にある「期せずしてそうなり、知らずして至る」などの理論や実践問題についても、大量の実践と現代理論を参照し、「運動の技能形成の生理学的メカニズムは、正しい条件反射に基づいている。条件反射はまず健全な中枢神経系が必要であり、正しい条件反射を絶えず強化することで、最終的に自動化段階に達し、運動技能を習得する」と認識した。また、『拳論』にある高度化段階は、実質的には自動化段階であると考え、「運動技能の習得には、単に筋肉運動だけでなく、神経意念の支配にも注意を払い、肢体運動との高度な調和を達成する必要がある。これが拳術における『整』である。化境の実質は、精神、意念、肢体の内外運動の高度な調和であり、拳術運動中に心のままに行動できること、すなわち『拳拳服膺』である」と科学的に説明した。拳学の核心問題である爆発力の形成メカニズムについても、先人の基礎の上で、さらに科学的な構造を提案し、「意境の再現を通じて、自己の精神を刺激し、巨大な渾円の爆発力を生み出す」と述べた。

姚宗勲先生の拳学の人生は、中国の伝統文化を理解し消化し、外国の優れた文化を融合し、絶えず革新するものであり、常に進歩し、停止することのない一生であった。