意拳浅談

意拳/大成拳を研究しています。翻訳は意訳です。

螺旋パワーで強靱なカラダを手に入れる

「螺旋」パワーを求めて中国大陸をゆく!

  • 登場する先生
    • 藏志剛
    • 李見宇
    • 張鴻駿
    • 王永祥
    • (西松正彦)
  • 内容
    • 藏志剛老師
    • 李見宇老師

印象に残った言葉

形意拳は五行拳と站樁だけで良いのだ。そして、最終的にはいかなる門派でも一撃である。形式(型)ではないのだ(藏志剛)

武術は打てなければ意味がない。この技はどう使うのか? という問題ではない。用法の解説など必要ないのだ。また、モノを打ったり鍛えたりという練功とも別だ。相手はいつどこを打ってくるのか分からないのだから。だから「一下 (※一撃)=発力」があるだけだ(藏志剛)

拳術は陰陽に尽きる。一拳一脚ではない、また套路でもない。拳術だからといって、自分の身を壊してまで練るものではない。人を打つのは簡単だが、制するのは難しい(王薌齋)

動いてはいけない、先ずは静を理解しろと言う。站樁は力を蓄え、本能を養う訓練だという。李老師曰く「亀がなぜ長生きか? 動かずに力を蓄えるからだ」ポイントは長く立つ事を目的にとせず疲れたら休み、自然であることを心掛けること

触れた時にはすでに螺旋の力は働いている。小さすぎて見えないだけだ。さらにそこから発力するのも螺旋の力だ。制人(技撃)は大きな円から小さな円を描くように。最終的には無形になり、ちょっと動いただけで相手を打てる(李見宇)

私の場合は先ず、3年基本功を練ろと言われたものだ。これでしっかり放鬆できて、根が出来る。植物でも大体3年で根が出来るだろ? それには忍耐が必要だ。多くの若者は先に動きたがるからダメなのだ。王先生は「ゆるめた中に力を探せ」と言ったものだよ(李見宇)

(王永祥先生いわく)相手に触れると、横回転や縦回転といった螺旋の力で崩す。それは站樁だけで養うのではなく、試力、摩擦歩など多角的に訓練して養うのだという。站樁には上下左右内外に同時に捻じることで、矛盾した力が螺旋状に働いているという。これは決まった形なのではなく、感覚の問題なのだという

站樁といってもただ立っているだけで整体の感覚を掴むのは難しい。たとえば、自分で自分の着ている服を引っ張ってみれば、全身の整体の感覚はすぐに掴めるだろう? 動作は簡単なものだよ。動作が単純か複雑かが問題なのではない、道理があるか否かなのだ(王永祥)

発力(力を瞬間的に発すること)は二つの源がある。体の整体(体をまとめる事)と地面の反作用がひとつ。それに丹田の強い圧縮だ(王永祥)