意拳浅談

意拳/大成拳を研究しています。翻訳は意訳です。

要論九(『岳武穆形意拳術要論』より)

五官百骸の主は動にあり、実際には歩によって運ばれる。歩は身体の根源であり、運動の中枢である。故に応戦や対敵の際、全ては身体から出ているが、実際に身体の砥柱となるものは歩である。随機応変は手にあるが、手が転移するためには歩が必要である。歩がなければ、どのように進退反側は鼓蕩を為すのか。また歩がなければ、抑揚伸縮はどのように変化の妙を示すのか。機関の鍵は眼にあり、変化は心にあるが、転変抹角、千変万化によって窮地に立たされることを避けるのは、歩が司っているのではないか。それは無理に達成されるものではない。動作は無心から出て、鼓舞は知らずして出る。身体が動を欲すれば歩もまた周旋し、手が動けば歩も迫るように動く。期せずして自然とそうなり、知らずして駆ける。所謂、上が動けば下はそれに随う、とはこのことを言っているのではないか。また、歩は前後に分かれ、定位であるのも歩であるが、無定もまた歩である。前歩が進めば、後歩はそれに従う。前後には定位があるが、前歩が後になれば後歩は前となり、更に前歩を後の前歩として、後歩を前の後歩とすれば、前後は自然に無定位となる。拳は勢によって論じられ、その要となるのは歩である。活であるか不活であるか、また霊であるか不霊であるか、これらは歩にかかっている。足の用は実に大きい。捶の名は心意と呼ばれ、心意とは、意が心から生まれ、拳が意に随って発するものである。己を知り相手を知り、随機応変する。心気が一度発動すると、四肢は皆動く。足が動き出すところには地があり、膝が動き出すところに数があり、動転には位がある。腕を合わせて胯を望み、三尖が対照し、心意気は内で三相合する。拳と足が合い、肘と膝が合い、肩と腰が合う、外で三相合する。手心、足心、本心の三つの中心が一気によって相合する。手を遠くに発動せず、捶打は五尺以内で、三尺以外で行われる。前後左右を問わず、一歩一捶、発手は人を得ることを基準とし、形が見えないことを妙とする。発手は風の矢のように速く(=快)、雷鳴りのように響き、兎のように出没し、生鳥が林に飛び込むようである。敵に応じる時は、巨砲が薄壁を押し出す勢で、眼が明らかで手は速く(=快)、勇み飛んで(=跃)直を呑み、まだ手を交えていないが、一気に先に出て、人の手を取理、その霊活さには妙がある。孔を見て打たず、横を見て打ち、孔は立たず、横は立つ。上中下すべての気を定めて、身足手は規則正しく束ねて、空に起きず空に落ちることもない。精明霊巧で、全ては活であり、去就、柔剛、進退のいずれも可能である。動かざることは山のようで、陰陽のように知り難く、天地のように無窮であり、太倉のようで充実しており、四海のように広大であり、煌めく光は三光のようである。来勢の機会を察して、敵の長短を見極め、待動による静には上法があり、処静による動には借法がある。借法は容易で上法は難しいが、やはり上法が最も優先される。勇者は思わず、思う者は寸歩も難しい。起は矢のようで、攢落は風のようである。手を引き(=搂)手を前に攻める。挙動は暗中で自然に合い、疾きことは天の閃電のようである。両側から打ち叩いて(=挝)左右を守り、反背は虎が山を探るようである。斬捶は勇猛で阻止することはできない。梢を斬り面を迎えて中堂を取り、上を奪い下を奪う勢いは虎の如く、まるで鷹が鶏場に下りるかのよう、翻江は急いで海に到らず、単鳳朝陽の勢は強く、雲の背には日月があり天と地は交わり、武芸を争うと長短が見える。步路は寸を開き尺を取る。正面に進み、右腿を上げ、左の足を進め、この方法で前へ行く。人が進むには身体も進み、身手が揃って到るのが真である。発中の絶をどのように用いるか、その意の妙は神のようである。鳥が林に飛び込む時は翼を明らかにせず、鷲が小鳥を捕まえる時の勢は四平である。勝利を得るためには、四梢を集めなくてはならず、一番大切なのは手で心を守ることである。策略を施し変化させ、霹靂のように精神を走らせ、心毒は上策と称され、手毒こそ人に勝る。閃とは何か? 進とは何か? 進は即ち閃であり、閃は即ち進であり、遠くに求める必要はない。打とは何か? 顧とは何か? 打は即ち顧であり、顧は即ち打である。発手の際は、心は火薬のようで、拳は弾丸のようである。霊機が一動すれば、鳥は飛べない。身は弓の弦のようで、手は矢のよう、弦が回れば鳥は落ち、その神奇を見る。起手は閃電のようであり、閃電には瞬きも間に合わず、人を打つは迅雷のようである。迅雷は耳を塞ぐにも間に合わない。五道は本来五道の関である。一つとして警戒せず、障壁として自らを守る。左頬への手は過ぎ、右頬への手は去る。右頬への手が過ぎれば、左頬への手が来る。両手は拳を束ね、正面から出る。五関の門は厳しく閉じられている。拳は心の内で発し、鼻尖に落ち、足は地の下から起き、足が速く(=快)起きる時、心に火が作られる。五行は金、木、水、火、土である。火は上に炎上し、水は下へと流れる。我には心、肝、脾、肺、腎がある。五行は相互に押し合い、誤りがない。