意拳浅談

意拳/大成拳を研究しています。翻訳は意訳です。

月刊秘伝2002年9月号

能楽師太氣拳士が共鳴する "真実の瞬間"(前編)「自分を捨てる時」

  • 登場する先生
    • 天野敏
  • 内容

印象に残った言葉

太気拳の稽古で沢井先生は「ただ立て」と。当時はかなり低い立ち方を15分ぐらいさせられて……とてもつらいんですよね。最初は立ち上がろうとする力でやっているんだけれども、そのうち股が張ってくる。「それでも立て」と言われるわけだからどういう方法を見つけるかというと、今度は座り込む力で立つ。要するに座り込もうとする力を使うことで、関節を固定させる。立ち上がろうとして、座り込もうとしている(天野敏)

弟子には腰を低くしろと言うんですけど、低くすればいいっていうもんでもない。縮むことで逆にゆるむ筋肉、要するに縮んでいくことで動く、活発化するということが見えてくる。それは腰を落とさないと 実は動けない。腰の力は使えない(天野敏)

地面をしっかり指で掴み取る。指で掴み取る事で土踏まずが緊張して、足の裏が緊張して膝が緊張して、いわゆる腰や股関節だとかいったものがいっぺんに強調して引き絞られていくというのかな(天野敏)

末端の足指などの力の転換が身体全体に影響してくるということがわからないと、身体全体が調和しない(天野敏)

私の先生の師匠が、もともとやっていたのは形意拳という武術で、その先生が「形」を取っちゃったんですね。形という字はいらない、と。意拳としよう、と。その先生が拳に対して、「意と音」である、と言っています。意と音が大事だなと私も思います(天野敏)

それともう一つ、正しい姿勢でいれば自然に降りてくる、とおっしゃっていましたね(天野敏)

手を動かすというより、周りの風景を動かす、という感じで、手を分けるんじゃなく風景そのものを切り裂いていく。切り裂いた風景を合わせていく。風景を持ち上げて、風景を下ろす。もう、自分の手をどうこうじゃなくて、周りの風景を全部、気持ちで持ち上げて、こっちに引き寄せて、放り投げる。姿勢がそうなると、風景は残念ながら動かないけれども、そういう気分になれる。そういう形で動いていく(天野敏)

試声だけではないけれども、いわゆる中国拳法の発力と言って一般的に力を出す時の身体の使い方があるんですけれども、相手を突き飛ばそうという時に腕を伸ばすと思いがちなんだけれども、違うんです。実は腕も縮まるんです。もちろん、力は前に行っているんですが、身体がt中心に向かって縮まるんです。だから、そういう意味では、なんの事前動作もなしに、急激にふっとやる。沢井先生はよく「全体がキュッと縮まって、グンッと行ってしまう」と言っていました(天野敏)