意拳浅談

意拳/大成拳を研究しています。翻訳は意訳です。

月刊秘伝2001年10月号

太気拳血戦譜

印象に残った言葉

ただ、澤井先生が技を示してくれることはあります。蹴りに対してはこう受けろとか、突きを避けてこんな風に攻めればよい、とか。先生の動きは速いというかなんというか、とにかくその場にいないんです。小柄な方なんだけど、攻撃が全然当たらない。そして、当たるはずがないと思う場所から、「あっ」という間に間合に入って、拳が目の前にある。先生の拳は当てるというのじゃなくて、当たる場所に移動して、当たるべくして当てているって感じ。必ず当たる間に入ってこられるので、反応できないし、避けようがないんです(佐藤聖二)

澤井先生の動きも決まりきった形というより、その場その場の状況で変化していくという感じですね。「こう蹴ってきたら、こう受けるんだ」と技を示す時でも、相手がちょっと違う攻撃をしちゃう時がある。そんなときは、もう対応していて「これは、こんな風にやればいい」って、教える技がどんどん変わっていくんです。もう、次から次へと、一見唐突で脈絡がない(佐藤聖二)

私も何度か行きましたが、初めて姚先生のご子息である姚承栄先生と組手をしてもらった時、意拳太気拳は少し違うという感じがしました。形の部分はもちろん違うんだけど、気質というかなんというか、そんなところが澤井先生のものと違う(島田道男)

澤井先生の動きはものすごく細かくて、単純だけれど美しかった。今の意拳の動きは、澤井先生に比べて大きいと思う(島田道男)

空手は機械的な速さしかないので遅すぎる。実戦ではイナズマのような速さがなければダメだ(澤井健一

また、こちらが連打で攻めていった時に、それを澤井健一先生は両手で捌きつつ退くのだけれど、そのとき同時に蹴りを出しながらさがっていくので、これには驚かされた(松田隆智

その後、約20年間にわたって澤井先生には何回かお会いする機会があったが、いつでもエネルギッシュで、最初にお会いしたときからぜんぜんその風貌が変わらないので「この人はいったい、今いくつなんだろう?」と会うたびに思って……これは、いまだに不思議に思うよ(笑)(松田隆智

爆発の瞬間まで絶対に力を入れず、腹の中から全身が回るように。爆発。とにかく組手で相手は見ちゃいけない。気分を大切に(島田道男)

澤井先生が亡くなられた後、俺も意拳を学び、そこから得たものも大きかった。でも、やっていくうちにだんだん外的な動きの大きさが気になってきてね。意拳をやりこむほどに、太気のおなかから出る小さな動きが出てきたんだ(島田道男)

意拳太気拳の立禅の違い)まず、いわれるのは、意拳の站樁などは太気拳のそれと比べて、腰が高いということですね。それでも、澤井先生はもっと低いのですが、低いといっても膝が90度以上に折れるということは太気拳の理論からも、意拳の理論からも有り得ないと思います。写真を見るとわかりますが、澤井先生も思ったよりも低くはないんですね。(中略)これから判断すると、澤井先生が学んだ站樁と40年代後半に王先生が教えた站樁には多少の変化があったことがわかります(佐藤聖二)