意拳浅談

意拳/大成拳を研究しています。翻訳は意訳です。

月刊秘伝2004年6月号

太気拳の組手とは何か?

  • 登場する先生
  • 内容
    • 合同組手会リポート

印象に残った言葉

私が(中国に)いた頃は、大き目のグローブを着けてやることが多かったですね。ただグローブだと手首が効きませんし、重いから手を体の近くに寄せてしまう。そうするとグローブが大きいのでそれで避けてしまい、ポクシング的な動きになってしまうことはありますね。逆に素手でやると“先に当てよう”という意識が強くなりすぎて、体で動くのではなく、手だけで当てに行ってしまう癖がついてしまうので、向こうではうまくミックスして稽古を行ってましたね。うち(拳学研究会)でもグローブは使ったこともありますけど、振り抜いて打ってしまうので怪我が多い。逆に素手でやると指が目に入ってしまう事があるので今は軍手をして行っています(佐藤聖二)

組手というのは今までの練習の最終的なチェックと言えるでしょうね。出来るか出来ないか、良い所悪い所をチェックしてそれをまたフィードパックして練習に反映できる。そうした技術面と共に、実際に闘うための気迫や気持ちを養うこともできる。これは禅だけでは不可能です。禅の時に色々想像するということを言う所もありますけど、そうしたことは実際に組手をやれば必要が無いと思います。もちろん組手と平行してやるのは良いでしょうけど、結局組手をやらないままではそれほど意味があるとは思えませんね(佐藤聖二)

私が中国で色々意拳の方とお会いして受けた印象は“我々よりもずっと澤井先生に似ている”ということですね。こう言うと意外に思われる人が多いんですけど、それが純粋な感想ですね。似てるのも形と言うよりも雰囲気なんですよ。動き自体は彼らは個性的でそれぞれ違うんですけど、持っている雰囲気や要点は全部同じなんです。パッと見た時、それを感じるんです。目つきとか、外へ溢れ出るもの、中国語で“神体”(シェンタイ)と言うんですけど、それが似ているんです。単純に腰を落せば良いとかではなく、ひとつの動作でも身体全体で動くとか、そういうことなんですね。そういう意味で彼らの動きを見ると勉強になりますよ。いくら腰を低く構えても中身からきちんと低くしていなければ意味がない。逆に中身がきちんと出来ていれば、外見上腰が高くても同じなんです(佐藤聖二)

身体を残して手だけで打ちにいくのではなく、全身を一致させて打つこと。本来は難しいことではないはずなんだけど、実際にやってみると不思議なほどみんな出来ない。というのも今の空手やボクシングなんかはフットワークは使っているけど打つ瞬間は足を止めている。これが"普通"だと多くの人はインプットされている(天野敏)

結局自分の中にある軸移動ということが意識できないからだよ。太気拳は禅・練・這で徹底して自分の中にある重心や軸などを感じて、それをこぼさないように動くこどが基本(天野敏)