意拳浅談

意拳/大成拳を研究しています。翻訳は意訳です。

簿家聡整理:姚宗勲逸文

85年の一月に姚先生が臨終された際に、病で寝込む前に私に重大な仕事を託された。家に呼ばれたあと、所用する文字資料を整理して、後人に大事な遺産として残したいと頼まれた。恩師が亡くなられた後に、敖石鵬先生が責任者となり、承光先生が同行して姚先生の住所を尋ね、所有している紙、本、手紙、書籍、雑誌、さらには広告の包み紙や煙草の箱などの些細な紙片まで、家中を探してすべて集めて整理した。恩師が重大な仕事を託してくれたことに深く感謝し、老師の無限の配慮を偲び、私は夜通して記録を整理し始めた。半月かけて精心で作業して、姚宗勲先生の貴重な文字を整理することができた。これらの文字はいささか分散しているが、一部は意拳の宝典も同然である。一切の拳学を研究する有志にとって、『武当剣譜』と『少林秘笈』のような武林の編は欠かせないものである。姚先生は生前に学生を丁寧に指導し、亡くなった後も皆が一心で団結し、把握したことをそれぞれ「まとめる」ことを望まれた。師の望みに従い、私は持っている全ての資料を自分の秘密とはせず、恩師の拳学思想を奮い立たせるという目的のために皆に捧げる。

極めて分かりやすく簡単な説明をすれば、一挙一動、たとえ極めて小さいものであっても全てに意義がなくてはならず、精神は矢を放てないことがない。先師が言うところの「心意の領導によって精神を指揮する」である。動作は自然に従い、需要に合う。動作時は姿勢の優劣と形式の繁簡については論じず、ただ神経支配の大意と気血の流行、呼吸の弾力を調整して、全体の大小の関節が上下、前後に相互に用いることができるようにし、舒暢の力を得て止まる。精神は厳かで、力量は活発である。精神と力量は全て「不丟(=落とす)不頂(=支える)」であり、「丟であり頂であり」、精神は全面に注意を払い、力量は平衡を建立しては破壊するのを繰り返す。「三角力」は発力の前に各関節が鈍角三角形を成す(主に腕、肘、膝)ことを指し、発力時には上腕は前に旋転、拧裹があり、これはいわゆる「螺旋力」である。

坐式:両脚は宙にぶら下り、坐式の練習を経て全身の力を得るのは容易ではなく、身法、歩法が平穏、霊活、多変であることは、技撃樁の主要な部分であり無視することはできない。

銭硯堂は薌先生に「先人の壁の高さは千仞(=一仞は7尺また8尺)あるけれど、君なら乗り越えて堂を登ることができるだろう」と贈った。

腕の部分は撐裏擰抱、肘の部分は曲池(=肘にあるツボ)の穴の位置を外を指す意で、肘の部分は外側に向かい内は裏で、腕の部分は僅かに擰(親指側は外に向け、小指は内に向く)、小腹は松圓で胸と腹の松緊を調整する。

站樁は水中で力を求め、水流は軽く緩やかでどこから来るかに拘らない。身体は微動(一歩進んで多くを収め、少し放つ)に随って応じて上下を一致させ、渾然一体、柱石となって妨げない。

試力はまとわりついて断たれず、発力は一触即発で、すぐに断つ。

単双重について述べると、「中」を露見させない。発力について述べると角度、方向、火加減、勁力が最も重要である。

正面の人に放つ発力は相手の重心をなすがままにして、己の腕の上にかかるようにし、突然発力の方向を転換して、人を放り出すことができる。

站式は四手の心を向け合って球を押し合うのに似て、肘の尖った外側を撑として、内側は滾裹、上下の腕の湾曲の角度は大きくて90度である。

単純防御の方法
以上の規則は双方が障害を負うのを避け、技能を高めるためのものである。推手の練習は相手の力量の方向と目的を分析し、自身の力量と平衡を保持し、また動作に余裕を持たせる。一歩進んだ鍛錬として、打つこと、蹴ることを許さない他の制限は減らすか外しても良い。基本的な争力を求める法は風府穴(第七頸椎ではない)に頸を挺する意を用い、全身の後ろは縄で引っぱるような弾力があり、前の手は前方にある縄を引っ張るようで、前後の両方の力が相殺されて手が動かないことを想像する。後ろの手は弾性のある球を抱き、体を手前に引いた時に球を離す意を用い、前の手がそれに応じる。争力は全身の上下、前後、左右全てに牽引、共争一中の力があり、これらは争力の初歩であり、前後の力を二争力と名付ける。

反応基本訓練
(一)整体争力を得た後、全身はばねで繋がり、身体が一つのばねになったようである。その後、敵がそっときて、推すか撃ってくるのを想像する。(上下、左右、前後の)意念は一気に緊となり、中心から異なる方向へ発出される。これを習得した後、人が迅速で猛烈に撃ってくるのを想像し、意念がひとたび動けばすでに発出されるが、その形は見ることができない。いわゆる一触即発、一発即止である。

(二)木の筏の上に立っており、いきなり前後に傾斜し、左右に揺れ、上下に沈んだり浮いたりするところを想像する。前傾すれば後ろに移り、後傾すれば前に移り、左右に移動し、上下に押さえては掲げ、意を用いてその形を見ることができないようにし、整体して腿の部分を単純に寄りかからないようにして、順序を固定せず、緩慢から加速する。この站樁の時は具体的な松緊活動を調整し、歩調を霊活の基礎功夫を訓練する。精神が高度に集中した時は、体は自覚せずに固くなって霊ではなくなるために、鍛錬中に精神を行動に集中させるときは身体を相対的に緩めるようにし、このようにしてのみ、動作を敏捷にでき、呼吸は自然に通るようになり、動作が続くようになる。松腰坐跨、木支撐、縄吊系、膝関節もまた然りである。搭手はすでに「点」から離れず、相手を制御する必要がある。

争力が主要に争うところは三つある:
1,頭頂と両脚の中心。2,頸と前腕。3,左右の両手。

練習:縄を会得した後、再び全身の毛髪が急騰して外界と関係を持ち、互いに牽引することを想像し、体は動くことができず、またどの場所にも微動の意思がある。これは拳術家の言う「頂上の力は空霊で、身は縄に吊られているようである」「形は松で意は須く緊、毛髪の勢は矛槍」の意である。練習の時は意を用いるが力は用いず、一度意念が往けば軽微な力が自ずとあるが、再び意によって力を用いる必要はない。形曲力直に注意し、八面の矛先が一中のなかで争い合う。この一中は頭頂と両足の中心までの一筋の線を指し、これは均整と軽霊と関係がある。拳術の前人は「松緊の中枢は上下にある」と説いたが、上下とはこのことを指しており、一定の意念を切実に使うが、これに執着してはいけない。

反応練習(二)
大脳を通らずに発力をすることができ、突然襲いかかられて思考が及ばない時も自衛することができ、一方に連続して発出することができる。「勁が断たれても意は断たれず、意が断たれても神は連なる」である。発力と試声は同時に行い、同時に胸の窪みは僅かに収まり、両肩は僅かに内を掴み、上体の全面は凹形になり、その目的は平面を凹形にすることで点に来た力量を滑らせることができ、小腹は実圓で、気は丹田を貫く。毎日十回は試声を行うことができる。試声の意義は発力の瞬間の防御能力を引き上げ、反弾力の力を軽減させることである。発力時は脆い関節の防御が弱くなる。前人が言うところの「丹田を気が貫く」は、意拳の発力時の「小腹実圓」練習によって全身の内部に僅かに漲る。蓄力は力量を備え、発出の準備をする。基本練法の站樁は精神を集中し、神は外に広がらず、力は内に収め、全身の平面があってはならず、大小の関節で曲がっていないところはなく、曲がっているところは力を内に含蓄している。動作時は上述の各点に注意した上で、空白や不足のところがなく、全身の心意に配慮した後、全身の力量を統一することができ、気力が一致して 圓整に向かう。所謂、「動静があるところで守り、用いる」である。

推手:
第一の階段は外力があっても、動作は停まらず変化して、力量の平衡を保持する。
第二の階段は自己の平衡を保持して、相手の平衡を破壊する。
第三の階段は相手の平衡状態をかき乱している一方で自己の重心は定まり、重心を調整し、歩の平衡を掌握して一瞬の機に突然発力する。

発力
動作は極めて小さく、極めて短い時間で突然迅速な剛勁の力があり、火薬が爆発する如くである。意念が支配し、意は向かい、神は従い、筋骨が運動する。これが発力である。自然に順じて、体外に到達し、力が未発の時は意念の力は争(縮)に戻り、これはいつも練っている争力である。争の弾力を利用しようと欲すれば、突然発力する。この力の発出は、肩、肘、膝、胯の全身の関節が均く突き出て、その突き出る意は外形の屈伸にあらず、全身の関節の骨が縮んで筋が伸び、力のあるところは突き出るものであり、一中から異なる方向へ発出され、対等であり、互いに応じ、一触即発で、一発即止である。

正発力
1.虚に拳を握り須く三分の力を用いる。
2.力発は前足の尖に至る。
3.親指を除いた全てが前の上方を向く。
4.上腕がばねになることを想像し、来た方向に一度圧をかければすぐに肘関節を打つことができる。
5.力は敵の背を通る。
6.頭と額は前に向かい、頂心は斜め前に向かって上を支える。
7.前腕と後腕の角度は直角よりも大きく、両腕は発力する前には45度より小さく、発力時は60度よりも大きい。

腿脚発力と行走発力の法は同じで、敵とまさに接触しようとすることを想像し、後腿が突然動き出し、足のつま先が前方向に伸び出す。同時に頭は上頂に向かう。敵の身に触れた(膝よりは高くない)と想像し、頭と足首が互いに争い、地を踏む腿は上に向かう力があり、前に向かって腰が押されてつま先に至る。

膝部発力
同上。下腿は前に伸びず、膝と頭の突出が争う。

側後方発力
敵が右肩から推してくるのを想像し、左手は捻りながら(訳注:拧転。以下同様)前に伸ばし、右手は捻りながら僅かに後ろに引き、両手は互いに争う。その力を右肩から後方に集中させてぶつけると同時に、頭は右側後方へ捻り、眼も後ろに向くようにする(脚下も僅かに捻る)。

行走発力
1,前進:前足を一歩踏み出した瞬間に力を発出する。定位と同様。左右:省略。
2,退歩発力:後ろに足を引く際に前に向かって発力する。前足を適当な位置(両脚の距離は渾元樁の歩法と同じである)まで引くと同時に力が発出される。定位発力法と同様であるが、前足を引いて後足が前足に変わり、後手が前手に変わる点が異なる。例えば、左足を引く際は左手・左肩・左胯が後ろに向かおうとして争い、右手は不動で、左足が地に触れた瞬間に前手で強く打つ。

後方発力
準備式と同一で、敵が下方から手首か腕をしっかりと持ち上げようとするか、あるいは上方から手首か腕を強く握ろうとするところを想像する。この時は両腕はわずかに捻り、両方の手は強く握拳(実際に握ってはならない)とする。その力は後ろに引っ張られるようにして、まさにばねが突然断ち切られたかのように発し、その後すぐに元に戻る。その神情は突然驚いたかのようである。前上方への準備式は前と同じである。敵が前手の上方から頭部に打ちかかってくることを想像する。身体(主に頭部によって主宰する)はわずかに後下方に寄り、前手と相争う。同時に前後の手も相争い、両手と両前腕を捻る。前手が下顎や頭部に接触するときに突然発力することを想像し、指の力は斜め上方に向けられるべきである。

向左右側方
準備式と同じ。

敵が自分の前(左)の腕を経て、上(下)から頭(腹)に打ちかかることを想像する。身体は頭を主宰として、わずかに右の侧方へ向くと共に、前手と争い合う。前後の手も争い合い、同様に捻る。発力の際は前手を捻って、前指は敵の頭部を指し(約60度の角度で)、後手は前に伸ばして前手の位置に相当し、前手よりも約十公分低い位置にあり、敵の胸部を指す。

清の赵藩曰く、「勢を審じざれば、即ち寛と厳は皆誤る。後に蜀を治めんとすれば、深く思慮すべし」「文武の道は、一が張で、二が弛である」。張と弛、寛と厳は即ち松と緊であり、緊は力を用いるが過大ではならない。所謂の僵は、動きが霊ではなくなったことを指す。

阻力感:阻力の強弱は自らの想像から来る。「松」、「又松又緊」、「緊」を練るべきである。即ち、松緊の反復変化の中で模索し、松に似て松に非ずの境地に至る。松中に緊があり、緊中に松がある。全ては一念により支配する。

推手普遍問題
1.発力の時期 2.準備時間が長すぎる

斜面問題
斜面を用いることで敵の力の一部を落空させ、力の向きを偏らせる。力の方向の変化と歩法、身法の移動(前後左右上下)、重心の昇降を用いて敵の圧力を破壊する。同時にこれらの変化によって敵に接近して感じる(接触点の感触及び敵の位置)。敵の力が変化することが難しくなった(硬直した)状態になれば再び発力する。練習中には当然間違いを避けることはできず、力の瞬間的な変化を判断することは難しい。抽象より学び始め、精神は切実であり、有形であれば力は散じ、無形であれば神は集まる。用法は形を現さず、用力は純粋な意にある。意と力は尖らず、渾円に定式はない。

意拳心意拳の名称の一つで、薌師によれば、戴龍邦以降に形意拳と呼ばれるようになった。現在の河南地域には心意と形意の両方が存在する。今でも少林の僧侶たちは、心意拳を少林の正統としているが、実際には形意は心意から派生し、発展と変化を経て、心意とは異なるものとなった。薌師は、最初は「老三拳」と呼ばれていたと言っている。それは践、鑚、裹を指す。践を歩法、「鑚」は手腕、裹はすべて包含するものを指す。薌先生は40年前の拳学要義で、以下のような文を書いている:“……形意の正統伝承には十二形の練法は存在しないが、全身の十二形の意が存在することを知らなければならない。また、相互に批判する議論も存在しない。ただ、五行は五種の力の代名詞を指し、手法や套とは関係がない。”

三十八年、薌師は昔年に「意拳」と名付けた理由を語った。当時、形意拳を練習する者の多くが套路や招法のみを練習し、道の真髄から遠ざかっていたため、形意拳と区別するために意拳と名付けたとのことである。薌先生が若い頃、郭老からの秘伝を独り占めすることとなった。先生の話し方は控えめであったが、多くの人々から嫉妬の目を向けられ、狂人と呼ばれたり、郭老師の弟子を詐称しているとの噂が立てられた。これが「意拳」に名前を変える主要な理由の一つである。『意拳正軌』という書籍について、私の兄がその背景を説明してくれた後、初めて全容が明らかになった。当時の道新兄がまだ津にいるのなら、その書の協力者が誰であるかを訪ねる価値があるだろう。かつて、韓兄と一緒に王矯宇氏の楊先生を訪問したが、その名前を忘れてしまった。記憶によれば、楊先生は薌師から短期間学んだ後、私が去った後に書き直したのだという。そのため、真実が保たれているかどうかは難しいと思う。

『心意要論』という書籍について、薌師はそれを「老拳譜」と称えた。私の見解では、この書は誰かが武穆の名を騙って書いたものである。心意拳は少林の正統伝承であるとされている。薌師も私にそのように語ったことがある。現代の少林寺の僧侶たちは、心意拳少林寺の宝と呼んでいる。ある古い少林の拳法の秘訣の書によれば、清の初期に明の皇帝である朱由畴が少林寺に入寺し、武技を学び、当時の有名な拳法の師である山西白玉峰や覚遠上人など四人と共に少林寺で拳法を研究し、少林寺の武技はかつてない高みに達した。少林寺は、鞑虏を追い出し、明朝を復興するために建てられ、康熙や乾隆の時代に二度焼失した後、再建された。今日、少林寺の中には、その歴史を説明する文章が残されている。乾隆はかつて、少林寺の主の部屋で一夜を過ごし、山門の扁額は康熙の手書きである。薌師は、意拳少林寺の正統伝承の心意拳は同じ源流であると言っていたが、正統伝承を受け継ぐ者は教えられなかった。姬公は清の初めの人物で、南山で遊びながら心意拳の譜を見つけ、三年間研究して技を身につけたと言われているが、私はそれを信じていない。古代の人々は、常に師の尊重と伝承を重んじていた。なぜ師からの伝承を受けたとは言わず、国民の英雄を持ち出すのか。それは、少林寺が破壊されたことと関係があるのかもしれない。1979年、私は同志の楊紹庚らと少林寺を訪問し、当時の少林寺の住職である正覚和尚と少林寺の過去について話をしたが、避けられた。しかし、薌師が民国初期に少林寺を訪れた際の住職である横臨和尚の後継者がいるかどうかを尋ねたところ、正覚は驚き、どうして横を知っているのかと問い返した。その後、彼は過去の話をするようになり、自分が幼い頃、少林寺で横和尚とその後継者と知り合ったと語った。彼は、前の世代の正統な拳法は少しも変えてはいけないと何度も強調した。彼らの態度から、その技の重要性が伺える。薌師はそれを「老拳譜」と呼び、人々に教える際にはその原文を引用した。『心意要論』は、古くから伝わる深遠な拳法の書であり、『意拳正軌』の起源であると私は考えている。

『習拳一得』は50年の秋に完成し、『大成拳論』とは約10年以上の間隔がある。前の著作よりも高い水準にあるのは当然である。『拳術新論』という文章は、37年の冬に薌師が口述し、執度兄が筆記したもので、38年に北京晨報に掲載された後、小冊子「致科学的内功拳著者」として印刷され、現在も保存されている。『意拳新編』も執度兄が編集・整理し、前後の内容は薌師の意向に基づき、正式に出版される予定だったが、39年に80部を印刷し、同門の仲間や賢人に意見を求めるために配布され、弟にも1部贈られた。しかし、時局の変動により出版は実現しなかった。斉執度は薌師のもとで幼少期から学び、站樁法から始め、理論と健身に重点を置き、技撃には浅く触れる程度だった。斉氏は斉振林氏の四存学会の会長であり、颜李学派の学者で、幼少期に陸軍で学び、民国初期には陸軍の次長を務めていた。芗師が「陸軍部武技教練所」で教鞭をとっていた時、斉氏は次長として在任しており、薌師との関係は深かった。兄は、薌師の造詣はすでに形意拳の範疇を超えていると考えており、その見解は正しい。薌師は生前、「学術は一代ごとに強くなるべきだ。一代ごとに弱くなれば、それはもはや学術ではない」と言っていた。また、その意味で、先生は個人の功績は郭老には遠く及ばないとも言っていた。

早年の形意拳の先輩たちの中で、李存義先生は薌師を高く評価しており、張占魁先生も同様であった。後に、薌師は上海で銭硯堂先生と出会い、彼との関係は非常に深かった。銭先生は薌師に詩を贈ったことがあり、「先人の壁の高さは千仞あるけれど、君なら乗り越えて堂を登ることができるだろう」という詩がある。郭老には、郭元という養子がおり、郭老が亡くなったとき、郭元はまだ幼かったが、郭老の遺言に従い、薌師のもとで拳法を学び、30年代の終わりに深県で亡くなった。弟の記憶によれば、張玉衡先生は新聞に薌師を紹介する記事を寄稿しており、『大成拳』という名前は40年6月に初めて新聞に掲載された。兄が『大成拳論』に関する意見を持っているが、数日後に、弟が『拳学要義』を確認して送るので、その後に読むと、薌師の当時の態度がわかるであろう。

蓄力は力量を蓄えて発出の準備をするものであり、基本の練習法は站樁の中に含まれる。即ち、精神を集中し、神を外に散らさず、力を内に収め、全身に平面の所があってはならない。大小の関節はどこも曲がっていないところがなく、動歩法を行う際には、上述の各点、空白や不足の所がないかに随時注意する。心意が周到に照願されると、全身の力量が統一され、気力が一致して円整となり、曰く「動静の中を守り、用いることができる」。

試力:站樁の練習の後すぐに、試力の練習を行うことができ、相互に参照する。站樁中、意念假借を利用して、上下、左右、前後に引力の実感があり、わずかな動きで気力が全て失われることを断言することができる。試力の目的は、動作時に意念誘導を用いて争力を掌握することである。初めに手を使って大気のを阻力を感じた後、阻力とその抵抗に等しい力で応じる。徐々に全体で試す。その際は身体は均整で、骨骼は支撑し、関節は霊活で、筋肉は収縮して、松に似て松に非ず。

発力は拳術(器械を含む)の練習中において、主要な功夫の一つである。他の運動も同様である。その力は、動きが極めて小さく、時間が極めて短く、突然に迅速に剛勁の力を発することができる。丸薬の爆発のようで、先人たちはそれを爆炸力と呼んでいた。身体の動きは意念の支配により、意の向かう先に、神が随伴し、筋骨はそれに従い発力する。自然に従い体外に到達する。力が発せられる前に、意念で力を引き返す(日常の争力の練習によるもの)。前に発するなら力は後ろに、後ろに発するなら力は前に、上に発するなら下に、下に発するなら上に、左に発するなら右に、右に発するなら左に争う。一争の弾力を利用して、突然に発出する。力が外に発せられる時、手、肘、肩、胯、全身の関節が鋭くなる。鋭くなる意味は、外形の曲伸を指すものではなく、全身の関節や骨が収縮し、筋が伸びる所に力が出て、一つの中心から異なる方向に発せられ、相互に等しく、相互に応じ、互いに調和する。一触即発で、一発即止である。

定位式発力法一(正前方へ向かう):準備姿勢は渾元樁と同じで、ただ両手の位置が両膝に相当する位置にあり、手は虚の握拳状(三成力を用いる)とする。拳の穴は上を向き、手心は裏側である。発力する際、敵が自分の前手の下方から力を用いて打ってくるとを想像する。この時、手と前腕は下向きに捻りながら前方に伸ばす。手を足尖の位置まで伸ばす際、同時に手心が完全に地面を向くように捻り、敵の頭部、つまり打ちたい場所に触れることを想像する。この時点で、自分の体を大きな鎚と考え、前の手から肘までを鉄の釘、上腕を二つのばねとして考える。体を少し後ろと争い、ばねが引っ張られる力を利用して両肘方向に強く突進する。この時、双拳は突然張り、拇指を除く十指は前方上向きに伸ばす。その意は、両手を敵の背中に刺すかのように遠くへと指すことで、これは「力透敵背中(訳注:力が敵の背中を貫通する)」の意味である。しかし、その力は一発即止で、指が非常に熱い赤い鉄に触れるようで、一度触れるとすぐに離れることを想像し、火傷をしないようにする。この点では、外形のこの動作を必要とするわけではなく、その内部の力を指している。同時に、以下の各点に注意しながら、同時に調和させ、精神を統一し、毛髪を戟のようにする。その目的は、使用可能な力をすべて発出することである。頭は、額を前方に打ち、頂心は斜め前方上に伸ばす。歯は、薄い鉄の板を噛むように合わせ、舌の根は後ろに収める。

胸腹:心窩はわずかに収め、肩は撑(=支える)として肘を横に突き出す。短く試声を突然用いて、刹那のうちに気が小腹を貫く(有声無声は問わない)。下肢:膝はわずかに張り、後胯は少し後ろに座り、後足は下に踏む(=蹬)。前足は踵がわずかに虚の状態で、意は地面に直接踏み入れるようにしながら、しかしすぐに持ち上げる(=提)。優れたところは内力にあり、外形ではない。前後の腕が曲がる角度は、直角よりも大きくなければならない。両腕が発力する前は約45度の角度で、発力時は約50度以上の角度になる。

発力法二(前方上方へ向かう):準備式は前法と同じで、敵が自分の前の手の上方から頭部に向かって打ってくると想像する。体(頭を主宰として)はわずかに後ろ下方に移動し、前の手と相争う(同時に前手と後手もまた争う)。両手と両前腕のねじり方は前の方法と同じで、自分の前の手が敵の下の額部分や頭部に触れると想像する。この時点で、突然発力し、指の力は斜め上方に伸ばす。他のすべての点は前法と同じである。

発力法三(左右側方向へ向かう):準備動作は前と同じである。敵が前方(左)の腕の上方や下方から頭部や腹部に撃つことを想像し、身体(主に頭を主宰とする)はわずかに右側後方に寄り(肘の前後、即ち側方)、前手は争い、前後もまた争う。手を捻る方法は前の発力と同じで、前手は捻って敵の頭部を約60度の角度で指し、後手は前手の位置と同等で、前手の下約10cmの位置を指し、敵の胸部を指す。

発力法四(下方向へ向かう、または驚力):準備動作は前と同じである。敵が下から前腕か上腕を強く押さえたり、上から手首や腕を強く握ったりすると想像する。この時、双腕をわずかに捻り、両手を強く握る(固く握ってはならない)。その力は後方と争い、ばねを突然引きちぎることを想像して、すぐに元の状態に戻す。その神情は突然驚いたようである。その他は前法と同様。

発力法五(側方後方へ向かう):準備動作は前と同じである。敵が右の肩甲骨を押してくると想像する。左手を捻りながらわずかに前に伸ばし、右手を捻りながらわずかに後ろに引く。両手は前方で争いながら、同時に両手も相互に争い合う。その力は右方向に集中して撃つ。同時に、頭は右側後方に捻られ、目は後ろを見る。その他は前と同様。

行走発力法一(前進):問架や歩法は、敵に対応する訓練法と同じで、前の足が接触する瞬間に発力する。他の点も定位の発力法と同様。

行走発力法二(退步):姿勢と歩法は上に向かう式に近く、ただ後ろに引く際に前に発力することを要求する。前歩を適当な位置に引き(その両足の距離は渾元樁の歩法と同じである)、足が地につくと力はすぐに定位法のように発出される。その違いは前歩が後ろに引かれた形勢について、前歩が後歩に、後手が前手に変わることである。例えば、左歩が後ろに引かれると、左手、左肩、左胯は後ろに移動して後と争う。右手は動かずに待ち、左足が地に踏むと前手が猛烈に打つ。

腿脚発力の姿勢と歩法は、行走発力法一と同じである。敵と接触すると想像し、肩架は変わらず、後腿は突然持ち上がり、足尖は前に伸びる。同時に、頭は上につっぱり、自分が敵の体に触れると想像する(敵の膝の部分よりも遠くならない)。頭と足首は突いて争う。地を踏む足には蹬の力が有り、前に送られ、足尖にまで至る。膝部の発力も同様である。下腿は前に伸びず、膝が敵に触れると想像し、力は膝の部分に集中する。その他はすべて同じである。

肩肘発力法の姿勢歩法は同じである。敵との接触が近過ぎることを想像すると、他の発力法はもう適していない。前手は後ろに引き、頭部は回転して上に向けてつっぱり、頸部は少し捻られ前方と僅かに争う。後足は地を蹴り、体の力は肩部に向い、突然激しくぶつかる。

肘部発力は上と同じで、力を肘部に集中し発出する。
1.直手発2.下潜発3.跳歩発4.後退発5.左右旁発6.双手発7.双変単発後退8.肩発9.背発10.腿発11.上臂左右発12.単手定発行発力 1. 放球発 2.双手発変歩 3. 単掩手発 自下而上左右 4.単手向後発 5.双変単発左右6.半歩拳発7.旋転発分水発8.双手斜断発9.単手臂発

国家サッカーチームへの講義の三つの提案
1. 運動中の支撑脚の問題 2.合理的な衝突の問題3.ジャンプしての空中のボールを争う4.ボールが相手の足下にある際に隙をつく5.シュートする際の力の問題6.ボールをコントロール中にタックルを受け、迅速に立ち上がり、ボールに近づく(重心を失った後に正常に復帰するのは試力にあり、発力時に弱点や空白を発見し、再び站樁の中で探る)

筋には力が有り、骨は棱を収める。これは「骨縮筋伸」と同じで、関節は収斂し、筋肉は伸張するの意である。「定中力」は搭手の際に、内部で変換される不定の力用いて相手を牽制し、進退を難しくさせる境地を指す。故に定中力と名付けられている。

「中」は単純な硬直した板(機械)ではなく、両腿の中線にある重心は昇降や転移が可能である。「守中」は動作中に、常に自身の均整を保持することを指す。相手の力が均整を失ったり、滞って霊でなくなった時、或いはその力が前や後ろにある時、自身の均整な力で相手を撃つ。これを「用中」という。

正面から人に発するとは、相手の力量をわずかに斜めに偏らせ、その力がまだ残っている間に、その身体の後ろ斜め上(もしくは下)に力を発することである。これは双方が接触した後に発力する方法の一つで、双方の力が合成される角度の大小は、その時の状況による。相手の重心を自分の腕の上に乗せ、突然方向を変換して発力することで、相手を放り出すことができる。
勁が手に伝わらない理由:
1.手の意念假借がはっきりとしておらず、注意力が足りない(即ち局部が松になり、だらけている)
2.肘や肩などの関節、および胴体と下肢の関節の松緊呼応が協調していない。
3.勁を探る時、過度に拘泥して、硬直している。

糾正法:

1.站樁(静止)の意念は、手に過度に集中するのではなく、手の前で牽引する物体に重点を置くべきであり(これにより六面力に至る)、感じたら即座に止まる。
2.試力(慢動)や推手の前には重物に粘りつくことを想像する。力は遒放の間に存在する。「松緊の枢軸は上下にある」という具体的な練法は、首の後ろにばねがあり、それが前方の足の先端に直接繋がっていると想像する。頭頂が首の後ろに少しもたれかかり、その力を感じた後、頭頂にばねがあり、それが後足の踵に繋がっていると想像する。頂心は上を指し、後足の踵は下へ蹬る。意を使って求め、意から力へ至る。動きながらの練法や、任意の行走において摩擦歩を練習する際、足先が地に接すると同時に、頭頂は上後に向かって争う。身体も同じである。掌握後は、頭心と後足は相争う。これは「消息全依後足蹬(訳註:消息は全て後足の蹬に依る)」と言われるものである。上下で脊柱の屈伸や、小腹の位置を体得する。推手で後退する時は、肩架を保持し、相手が計略を施す余地をなくす。退步の際、前の足は懸空し蹬踏の備えをする。両腕を合わせて拳を発力し、争力の点は後肩にある。

心理学の観点から見れば、この訓練で最も重要なことは静かに人を殺める能力を学ぶことであるかもしれない...自信は、超人的な体力や優越感をもたらす。訓練が終われば、どんな人にも恐れずに立ち向かえる。彼の力気、体格、能力に関係なく。指導者は私たちに、任意の戦闘が起こった場合、ためらいも恐れもせずに立ち向かうべきであると教えてくれる。このような精神状態は、プロボクサーでさえも備えるものは少ない。ただこの種の精神を保持していれば、もはや勝利は手中にあるということである。

間諜の訓練と募集 英人 雷蒙徳。帕爾黙 直拳は栽拳として打たねばならない。

練功の際、各大関節は間隙があるのに似る。これは放松の助けとなる。
いわゆる弾簧とは、身体の重心を移動させて作用力と反作用力を用いることである。身体は去と回の双方を要し、矛盾の状態にある。転折の際は均速ではなく、変速で応じる。敵が進む時に私が退くのは、敵が進んで私が逃げるわけではない。身体を両側に移動させ、常に一方の手は相手の口鼻の間を指しているべし。歩法を十分に利用し、調和を図る。後足は動かず、前足を引き抜き(=抽)、再び回去で踏み込む(=踩)ことで、彼を放つ。搭手は、近すぎず離れすぎず、搭がなくなれば爆発力の変化がない。相手の歩法の規律を探り、前に歩んで彼を待ち、彼が足元が不安定にさせてこれを発する。

対手の勝敗は、体力や技術のみにあらず、精神、文化、内心、堅毅、果敢、闘志、私生活など総合的に体現されるものである。
敵を迎え撃つ勇気が必要である。そうでなければ、打撃は洗練されておらず、脆でない。実力が不足する場合、歩法を合わせる。
五指は開き緊靠してはならない。虎口は円く支えられ(=撑円)、指先はわずかに収める。掌心は内部に吸い込み、物を持って落とさない意がある。掌心は外に吐き、指は外に張るが、糸に縛られて伸びない意がある。吸と吐は相互に行われ、片方に偏ってはならない。

練拳の経緯: 私は15歳の時(1933年初)に小学の同級生傅某の紹介により、洪連顺を師と仰ぎ(姓傅と一緒に)、弾腿長拳、槍、刀等を学ぶ。1937年の秋、洪の紹介で    王薌齋に意拳を学ぶ。

教拳の経緯: 1938年の冬、王向斉の友人であり、北京偽公共局の局長であった張壁は、王と共に東単金魚胡同1号で拳を教え、同時に韓樵もいた。1939年の夏、四弓弦胡同6号へ移動し、四存学会体育班の名のもとに活動した。1939年の秋、弓弦を離れ、洪連顺の助けを借りて拳を教える。洪の生計が困難であったため、1945年8月に日本が降伏するまで続けた。

争力と反応練習:
争力: 意拳中における争力とは、意念を以って全身の重点を大小の関節に導き、上下、左右、前後が互相に牽引し、中心を共に争うことによって生じる弾簧の如き意中力である。この種の争力を備えた後、試力、発力の段階的な練習を経て、整体力を発揮する目的を達することができる。争力の練習は、二争力から始め、後に全身に及び、整体の争力を求める。二争力であれ、整体の争力であれ、先ず站式の樁法において摸索し練習すべきである。

(一)二争力の練法において、強壮樁の第一姿勢を用いることができる。良い姿勢で立った後、前腕や手首に弾力のある縄が結ばれていると想像する。縄の前端は前方のある物体、例えば壁や木などに結ばれている。縄の後端は自らの頸の後方、風府穴の下の位置に結ばれていると想像する。頸部は、意をもって少し上に突き上げ(=挺)、微細に捻る(例えば左手が前方にある場合、左側に微細に捻る)。意念を使い、後跨(臀部以上の身体)を後ろに靠せ、前膝は前方を指し、頸部を使って弾力のある縄を引っ張り(=拉)、同時に手首部分で縄を結んだ物体を引く。例えば、木の幹に結んで引く場合、木も引っ張る力により微細に震えることを想像する。頸部は腕を引き、手首で木を引く動作は同時に行われるべきである。前後の争力の力量は対称的に相殺され、手は動かないと想像する。力を感じることができれば、すぐに放松する。右手は弾力のある球を抱えるように、体(頸部で引くと言うが、実際は体を使って引く、ただし重点は頸部にある)が前手を引っ張るとき、後手は球を抱える意識で前手と呼応する。放松した後、再度引っ張る。このようにして、松松緊緊の争力を体得することができる。これは、拳家が言う「松は緊、緊は松」と「松緊互用」の意中力である。練習中、松と緊を相互に使用する水準が向上するにつれて、想像する縄の弾力の強さや持続時間を変更するべし。意味は、ゆっくりと引っ張ることも、急に引っ張ることもできるが、外形には表れないようにする。ただし、注意が必要である。「松緊緊松、過ぎたるなかれ」というのは、適当が良いという意味である。

相争う場所は三つある。(一)頭頂と両足の中心(二)頸部と前方の手首(三)両手が左右で争う(言及されるすべての争う場所には、弾力のある縄が結ばれていると想像できる) 。練習で会得した後は、全身の毛髪が外界と繋がって浮き立つと想像し、相互に牽引し、身体は動かせないが、どの部分も微細に動いているという意思を持つ。これは、拳家が言う「頂上の力は空霊で、身体は縄で吊られているようである」と「形は松だが意は緊で、毛髪の意識は戟のようである」の意味である。

練習時は、意を用いて力を用いないことが求められるが、実際には意念が注がれれば、微細な力が自然に生じる。そのため再び、意を用いて力を用いる必要はない。形は曲、力は直であり、八方向に向い、一中心で争いあう。この一中とは、頭頂と両足の中心点を指し、この線は均整を保ちながら軽霊であることの鍵である。拳法の先人たちは「松緊の枢軸は上下にある」と語っており、この上下とは前述のことを指す。行うときは意念を切実にすることが必要であるが、執着してはならない。

反応練習
反応の基本訓練は、神経の反応を迅速にすることにある。思考する余裕がない状況で、即座に発力、変化させる能力を養う。整体の争力が得られた後、站樁の際、全身は弾簧に結びついているように感じ、身体自体も一つの弾簧のようである。誰かが軽く押したり、打ったりすると想像すると、迎撃の意念が動き、身体は緊となり、力は相手から来る力の接触部位から外へと発出される。押してくる力が常に変化すると想像し、それが上、下、前、後、左、右であったりすると、力は一つの中心から異なる方向へと放出される。練習において、作用力と反作用力を実感する。一触即発、一発即止である。

一、蓄力
発力する前に、まず蓄力が必要である。蓄力は、発力する前に内部で蓄えられている待発の力である。それは、松に似て松に非ずの状態である。蓄力と発力は、非常に密接な内部の関連性を持っており、分割することはできない。動的、静的いずれの状態でも、体全体が適度に松とすることが必要である。緊が過ぎると力を発することができず、松が過ぎると発揮される力が遅れ、敵につけ込まれることが多い。しかし、深く練習する際には、これら全てを練習しながら感じる必要がある。

二、発力
発力は精神が高度に集中し、意念が指揮を取る下で、内部に蓄えられた待発の勁力を、訓練された技巧を通じて、非常に短時間で身体の特定の部分から爆発的に発出することである。注意点は「一触即発、一発即止」であり、つまり、収発はともに快を要する。

功力とは、勁力の発出が様々な状況下で行われることを指し、快にも慢にもでき、経過する空間や路線を長くも短くもでき、動作は大きくも小さくもでき、体の斜正に関わらず放出できる。
発力の練習において、主に「打」と「発」の二種類に分けることができる。「打」は最も近い距離で、非常に短時間内に集中的に力を相手の特定の部分に放出するもので、浸透力が強く、妨害力も大きいが、相手の重心を動かす力は小さい。「発」は打撃の過程で、相手と接触するときに作用時間と接触面積を増やすもので、相手の重心を動かす力は強く、妨害力は小さい。「打」と「発」は、実戦時に具体的な状況や可能性に基づいて用いる。

試す時は緩慢でなくてはならず、しかし停止してはならない。ゆっくりと糸を引き出すようで、一箇所を動かすとき、それは全体の一部として考えなければならず、分割してはならない。これが「一箇所が動けば全身が動く」の意味である。大動は小動に及ばず、快動は慢動に及ばない。動こうとすれば止まり、止まろうとすれば動く。動こうとして動かず、動かないようにして動く感である。動きが微細になればなるほど、精神的には注意を払う必要がある。意念は断たれず、神は散らばらず、全身の動静は一意の支配による。全身は自然に任せ、最終的には試力の二字さえも意中に留めない。先師曰く「力量は身外から求め、意念は無心で操作される」。
注:初めて習うときは意を用い、力を用いないようにする。熟練すると、意と力は区別されなくなり、大動、小動、快動、慢動、などを均等に練習する必要がある。更に、いつでも意力を発出できるかどうかを実感する必要がある。

試力法一。扶按樁の姿勢を取り、後腿はわずかに直である。眼は前方を見る。手の下には一大団の飴糖があると想像し、両手を斜め前方、少し下へと向ける。ゆっくりと飴糖の中へ手を挿入する。手がほぼ飴糖に包まれる時、ゆっくりと手を斜後方、少し上へと引き上げる。前方へ押す時には阻力があると想像し、後方へ引く時には牽力があると感じる。動作は緩やかであるが、途切れてはならない。回数に拘らず、左右の構えを交互に練習する。

試力法二。自身が水の中に立っていると想像し、手の下で一つの球を支えている(=扶按)。ゆっくりと手でその球を段階的に水の中へ押し込む。球が滑り落ちることがないように注意する。球を約一尺ほど水中へ押し下げた後、球をゆっくりと持ち上げる。手には引き上げる(=提)意と同時に押さえる息吹もある。

試力法三。両手を開き、大腿の両側に配置する。手と腿の距離は約三拳である。自身が水の中に立っていると想像する。両手の十指を開き、前方と後方へゆっくりと撥水する。

試力法四。鉤掛樁の姿勢から開始する。十指の先端にはそれぞれ二つの弾簧が前方に繋がれていると想像する。双手をゆっくりと後ろへ引き、同時に両手の掌と手首部分を左右の方向へと捻る。手心が下を向く時に、前方へ推す動きに変える。再び、指の先端の弾簧には阻力があると想像し、ゆっくりと弾簧を押し戻す。前手が前脚の位置を超えようとする時、再び手を引き戻す。引き戻す時には、常に力は前方を指す。前方へ推す時には、常に力は後方を指す。つまり、力は常に矛盾しており、これは前輩がいう「順力逆行」である。

以上の各法について、全て左右の構えは互いに練習する。回数に制限はなく、疲労をもって判断する。練習の後、身体と手腕の動きは、呼応するようになる。水や引力の意を持つことで、身体の外側の阻力を探すことを求める。故に薌齋先生は「空気遊泳」と称した。

試力法五(行走試力法)。各種の試力と摩擦歩法を組み合わせる。