意拳浅談

意拳/大成拳を研究しています。翻訳は意訳です。

要論三(『岳武穆形意拳術要論』より)

要論三

気の本源は身体にあり、身体の各節には定まったところがない。三節とは上中下である。身について言えば、頭は上節、身体は中節、腿は下節である。上節について言えば、天庭は上節、鼻は中節、海底は下節である。中節について言えば、胸は上節、腹は中節、丹田は下節である。下節について言えば、足は梢節、膝は中節、胯は根節である。腕について言えば、手は梢節、肘は中節、肩は根節である。手について言えば、指は末端の梢節、掌は中節、掌根は根節である。このように考えると、足については言及する必要がない。したがって、頭頂から足の先まで、すべて三節のないところはない。要するに、三節がなければ、意を注ぐべき場所がない。上節が不明であれば根本がなく、中節が不明であれば全身は空であり、下節が不明であれば自ら転倒することになる。どうしてこれを軽視できるだろうか。気の発動は、梢節が動き、中節が随い、根節がそれを催すだけである。しかし、これは各節を分けて言及する場合である。合わせれば、上は頭頂から下は足の先まで、四体百骸は一節となる。なぜ三節があるのか? またなぜ三節のそれぞれに三節があるのか?