意拳浅談

意拳/大成拳を研究しています。翻訳は意訳です。

答疑(2)(『走進王薌齋』より)

問:「体整如鋳、身如鉛灌、毛髪如起、筋肉若一」とは何でしょう?

答:整を求めることは練拳の重要な目標の一つである。どの程度まで整えるのか? 「体整如鋳」は整を求める過程での一種の生理反応である。人が整えられるかどうかは、関節が鍵となる。具体的に言えば、関節の感覚である。正しい站樁により、徐々に各部位の関節に力があることを感じ、練習前より明らかに力があると感じるようになる。これが体整如鋳の始まりの段階である。功夫が深まるにつれ、関節が鉄のように感じられ、非常に堅く、刀のようで、また尖った、棘のある鉄器のように感じられる。さらに功夫が深まると、関節が固定されたように感じられ、力を使わないと動かず、形を変えるには力を使わねばならず、力を使わないとまた止まってしまう。王薌齋先生は言った。「一動けば全身の関節が球のように転がる」。この転動には摩擦力があり、力を使わないと転がらない。摩擦力が大きいほど功夫が深い。王老先生は一動すれば全身の関節がきしむ音を感じ取れたという。

もちろん後世の人は誰もこのような功夫に達していない。ただの目標と言えるだろう。これらは全て体整如鋳の感覚であり、想像ではなく、功夫が一定の程度に達すると自然に現れる感覚である。「身如鉛灌」とは、身体内部が骨格に沿って鉄の骨組みがあるように感じられ、身体内部に嵌め込まれ、非常に硬く、弾力性がある。あるいは強度のある鉄の骨組みの外側に綿の層が包まれているような、外柔内剛の感覚である。「毛髪如起」とは、功夫が一定の程度に達すると、毛髪が逆立つように感じられることである。「体整如鋳、身如鉛灌」は全て力が三節を透すことを言い、「毛髪如起」は気が四肢末端に灌ぐことを言う。四肢末端で最も難しいのは血の末端、即ち毛髪である。だから毛髪が逆立つように感じられるということは、四肢末端に全て至ったということを示す。

「筋肉若一」については前に説明したので、ここでは省略する。動と静が互いを為すことを指す。

問:発力をどのように練習すればよいでしょうか? どのように発力すれば正しいのでしょうか?

答:まず指摘すべきは、大成拳で言う力と一般的な体育運動で言う力は二種類の力であり、同じ概念ではないということだ。大成拳で言う力は虚無の中から求められる。例えば、站樁の時、体外には実際何もないのに、站樁により体外に至る所に阻力があるように感じる。この状況下で私は必然的に「阻力」と対抗しなければならず、この「阻力」と対抗して生じる力が大成拳で言う力である。この種の力は対抗の中で相手の横竪力の転換の中から相手の無力な所を見出すことができる。だから大成拳の力は「無力の中に有力を求め」、「有力の中に無力を求める」と言える。この種の力は非常に奇妙で、その妙は言い表せることができない。

発力について言えば、まず私が言ったこの種の力を備えていなければならない。この種の力を備えていなければ、発力を論じることはできない。もし無理に発力しようとしても、発した力は大成拳で言う発力ではない。薌齋老先生は生前こう言っていた。「力があってこそ発力できる。力がないのに何を発するのか」。

大成拳の練習過程では発力しない方が良いが、正しい練習を通じて、力を発することができる状態にしなければならない。薌齋先生は言った。「発することができるが発しない」。自分の力を長期的に発することができるが発しない状態にし、長い間にわたって対抗の中で自然力を発することができるようにする。自然力は自身の争力から発せられるもので、阻力に遇えば自然に力を発するのが大成拳の求める発力である。「形有り意有るは皆偽であり、無心を見出すこと法こそが真である」、先人の言葉をよく吟味すべきである。

問:大成拳を練習する過程で呼吸をどのように練習すべきでしょう?

答:大成拳を練習する過程では呼吸を自然にすることが求められる。どの段階の練習であっても、呼吸は常に自然な状態にある。人為的に呼吸を調節してはいけない。もちろん、功夫が深まるにつれ、呼吸は徐々に均、細、深、長になり、最終的に腹式呼吸になる。これは練功が正しい自然な結果である。大成拳の練習は人の呼吸方式を変えることができるが、それは自然呼吸の状態で変化するのである。正しい站樁、試力、搭手の練習は、全て自然呼吸の状態で行われる。松緊の段階、得力の段階、用力の段階に関わらず、呼吸は常に自然である。

ある人は人為的に、直接的に呼吸を練習しなければ正しくないと考えているが、実はそうではない。大成拳が人の呼吸方式を変えるのは、練習者が自然呼吸の状態で行うのであり、松緊、伸筋、得力などの手段を練習することで、人の呼吸を徐々に均、細、深、長にし、腹式呼吸に達するのである。どのように練習しても、どのように力を使っても、どんなに痛く、どんなに疲れても、内部の生理がどのように変化しても、呼吸は常に自然な状態にあり、しかも練習すればするほど均、細、深、長になる。これこそが最も難しいことである。

大成拳が人の呼吸方式を変える原理は伸筋によって人体内部の生理を変え、人が大量の酸素を必要とするようにし、人が普通の呼吸方式では自身の要求を満たせなくなった時、人体は自動的に腹式呼吸の方式を採用して呼吸し、自身の酸素の需要を満たすのである。

問:なぜ大成拳は常に「肩撑肘横」を求めるのに、形意、太極などの拳は「松肩墜肘」を求めるのでしょうか? もし「肩撑肘横」なら、技撃時に相手が肘を托したらどうするのでしょうか?

答:まず明確にすべきは、肩肘横でも、松肩墜肘でも、技撃での肘を托すこととは別物だということだ。肩撑肘横と松肩墜肘は功夫を練ることを言っており、功夫がある程度に達した時の一種の生理反応である。肘を托すのは技撃中に遭遇する可能性のある一つの状況であり、これは別の話で、混同してはいけない。

肩撑肘横と松肩墜肘の違いは松肩墜肘は功夫がある程度に達した後の肩と肘の一つの状態であり、肩肘横に比べると一つの結果である。一方、肩撑肘横は結果を追求する必然的な過程である。なぜ練功時に肩肘横を強調するのか? 肩肘の目的は肩、肘の下の筋を引っ張ることにある。これら数本の筋は手の五指に直接つながっている。肩肘横はこれらの筋を最も長い状態にする。もし肩肘横の状態で肩肘が松くなれば、これらの筋が引っ張られた長さがあらゆる動作に対応できるほど十分であることを示している。どんな動作も肩撑肘横の時に必要な筋の長さより長くはない。大成拳では身体各部の要求は全てこの原理である。一旦この動作で筋を十分に長く引っ張ることができれば、他のどんな動作をしても障害がなく、全て力が得られる。

もし肩撑肘横の状態で筋が十分に長く引っ張られ、余裕があれば松となる。どんな動作をしても松肩墜肘ができる。もしそうでなければ、たとえいくつかの動作で肩肘を松にできても、多くの動作では松肩墜肘はできないだろう。薌齋先生がなぜ「肩撑肘横」を提唱したのか? それは彼が松肩墜肘を徹底的に研究したからだ。肩撑肘横は松肩墜肘の必然の道なのである。各家の拳譜は全て松肩肘について述べているが、過程については述べていない。薌齋先生が肩撑肘横と言ったのは、過程と結果を述べているのだ。過程があれば必然的に結果がある。もちろん肩肘も最終的な過程ではなく、その下にもまだ過程がある。松肩墜肘も最終的な結果ではなく、その下にもまだ結果がある。

拳を練習するには一を聞いて三を知る必要がある。肩撑肘横について述べることで、実際には大成拳の桩法の原理を全て述べたことになる。大成拳の站樁の姿勢に要求を加えたものは、人体が最も長い筋を必要とする状態なのである。一旦この状態で筋を十分に長く引っ張ることができれば、全身の各関節各部位が全て松となり、どんな動作をしても筋に障害がなく、逆に自争力を生み出し、「展、抗、横、抖、順、劈、楼、搬、把、撑」の力を生み出すことができる。筋が長く、順になれば気は四肢末端に貫き、気が全身に灌ぎ、陰陽が平衡し、病気を防ぎ治すことができる。技撃面では剛柔併済でき、力が途切れることがない。

肘を托すのは技撃時に起こりうる一つの状況であり、肩肘横は練功時に必ず直面する問題である。これは二つの問題だ。功夫があれば、技撃時にはあらゆる状況に対応できる。肘を托すことも含めてだ。功夫がなければ、肘を托すどころか、相手があなたの手を托しても対応できない。どこを托されても耐えられない。大成拳の技撃は功夫に頼る。功夫がよく練れていれば、どんな技撃の場面でも自在に対応できる。

問:大成拳を練習する時、どのように意念を放長く、放大するのでしょうか?

答:まず明確にすべきは、意念は練り出すものであり、正しい姿勢を長期間保つことで、意念は自然に現れる。誰であれ、正しく練習すれば、現れる意念はほぼ同じであり、違いは各人が意念を描写する言葉や文字が若干異なるだけである。意念そのものが長く、大きいものであり、もちろん人為的に誇張することもできる。もし意念が上述の方法で求められたものでなく、空想で作り出されたものならば、それは別物である。

問:站樁時にいつも動いてしまうのですが、站樁時に動いてもよいのでしょうか?

答:站樁時にいつも動くのは、筋に力がないことの表れである。一般人にとって、どれほど身体が強靭で、どれだけ体育訓練に参加していても、站樁をしたことがなければ、筋は鍛錬されない。站樁によってのみ筋に力をつけることができる。站樁時、人は静止状態にあり、静止時に筋に力があってこそ、真に動かないことができる。そうでなければ、微動せざるを得ない。そのため、人が糸筋一つ動かさずにいるのは難しく、站樁を通じて筋を鍛錬し、長い時間をかけて筋に力がつけば、動かなくなる。

站樁時の動きは站樁功の一過程である。功夫がなければ、動かないようにしても無理で、無意識に動いてしまう。站樁に慣れた者は站樁時に動かず、地面に釘を打ち付けたように動かない。このときにのみ、身体の外に物があり、阻力感があると体感でき、これを大気と呼応すると呼ぶ。もし站樁を何年も続けても安定せず、無意識に微動するのであれば、站樁が間違っていて、筋を鍛錬できていないことを示す。この時、理解者の指導を仰ぐべきである。初学者の站樁では、動くのは必然的現象で、前進過程であり、間違いとは言えない。数年後も同じなら間違いである。良い樁は動かず、糸筋一つ動かない樁でこそ意が出る。意念が現れて初めて内勁と呼べる。

問:站樁時に震えが出るのはなぜですか、正しいのでしょうか?

答:站樁時の震えも、力不足の表れである。震えは一般に站樁時間が長くなった時に現れる。震えの出現は力が足りなくなったことを示す。站樁時間が長くなってから震えが出るのと、短時間で震えが出るのとでは、筋力が異なることを示す。前者は後者より筋力が大きい。そのため、站樁時間が長くなってから震えが出るほど良く、筋力が強いことを示す。站樁時間が短くて震えが出るのは、筋力が弱すぎることを示す。功夫のある人は2時間站樁しても震えは出ない。

王薌齋は4時間も站樁でき、数年間毎日震えることなく、筋力が極めて強大であることを示した。站樁時に震えが出たら、体調が良く若い人は限界まで続けてよい。年配者、体力の弱い人、病気や障害のある人は、震えが出たら練習を中止し、休息後に再開するか、翌日に行うべきである。

李栄玉『走進王薌齋』大展出版社有限公司より

答疑(1)(『走進王薌齋』より)

問:撑托樁と矛盾樁を立つ時、後脚のどの部位を地面につけるのでしょうか?

答:撑托樁と矛盾樁を立つ時、後脚は全ての足裏を地面につけるべきである。站樁の練習では大歩、中歩、小歩、高勢、中勢、低勢と異なる歩幅を練習すべきである。樁勢の高低によって、後脚に力が入る部位も異なる。後脚に力が入る部位は站樁の歩幅の大小、樁勢の高低と関係があり、後脚の裏の全ての部位を練習する必要がある。言い換えれば、大歩、中歩、小歩、高勢、中勢、低勢を全て練習しなければならない。そうすることで足底の各部位を全て鍛錬できる。站樁の目的は人体全身を全て、徹底的に鍛錬することである。

問:ある拳譜には「筋肉若一」と書かれていますが、ある文章には「肌肉若一」と書かれています。結局どちらが正しいのか、説明してもらえないでしょうか?

答:まず「筋肉若一」の意味を説明しよう。人が動かない時に生じる力は筋から生じる。人が動いている時に生じる力は肌肉から生じる。大成拳は系統的な訓練を経て、この二種類の力を共に習得できる。動かない時に力があり、動いている時にも力がある。動いている時に静力が存在し、動かない時に動力も存在する。このように動かない時に静力と動力が同時に存在し、動いている時に動力と静力も同時に存在し、静力と動力を同時に運用して生じる力を、王薌齋老先生は「筋肉若一」と呼んだ。この種の力は技撃時に妙用がある。敵味方が交手し、二つの力が接する瞬間、動かない状態になる。一般的な技撃術では、この時は動作を変えて二つ目の動作で攻防するしかない。そうすると変化が多くなってしまう。もし静力を備えていれば、二つの力が接する瞬間に相手の力の方向を感じ取り、横竪力の原理を用いて直接相手を攻撃でき、動作を変える必要がない。こうすることで技撃を単純化でき、勝算の把握が大きくなる。

形意拳で言う「横、順、起、落、鑽、翻」は、全て静力を備えた上での産物である。静力がなければ、上記の打法は全て論じることができない。この種の力は養生面でも妙用がある。「気は骨に生じ筋に至る」。気は筋を通してのみ身体の各所に灌漑できる。易筋しなければ、気は四肢末端に灌漑できない。気が四肢末端に貫けば、人の陰陽の平衡が取れ、抵抗力が増強され、病気を防ぎ、身体が強壮になる。「肌肉若一」については聞いたことがない。理屈から言えば、肌肉は局部的な一つの動作しか動かせない。一つの動作には一組の相応する肌肉を使い、動作を変えるとまた別の一組の相応する肌肉を使う。肌肉は若一にはなりえない。これは生理学の常識である。「肌肉若一」は恐らく誤記だろう。

問:大成拳の力とは何でしょうか?

答:これは非常に良い質問である。大成拳の力が何かを理解しないと、大成拳の練習過程で入門するのは難しい。大成拳で言う力は、我々が普段様々な体育鍛錬、生活、仕事で使う力とは概念が異なる。一般的な運動で使う力は人体が緊張状態にある時に発する力である。人は生まれてから、運動、生活、仕事で使う力は全て、肌肉が収縮している時にのみ力が出る。肌肉が緩むと力がなくなる。つまり、力を使うと人は緊張状態になり、緩めると力がなくなる。

大成拳で言う力はそうではない。それは人が松の状態でも力があるということだ。逆に言えば、人が力を使っている時に身体各部位が松の状態にあるということである。

この種の力には二つの利点がある:

1. 非常に良い養生効果がある
人が力を使っている時に、身体各部位が松の状態にあるということは、人の筋が長く、順で、堅であることを示している。人体の筋の変化により気が身体の末端まで順調に到達でき、それによって人体が陰陽平衡の状態になる。長期的にこの状態にあれば、病気を防ぐだけでなく病気を治すこともできる。たとえ病気になっても、急性でなければ、大成拳の練習を通じて医療と併用すれば、病気を治すことができる。医療だけよりも効果が良い。これは既に実践で証明されている。だから大成拳をこの程度まで練習すれば、非常に良い養生価値がある。

2. 非常に良い技撃効果がある
どんな対抗運動も虚を打つ、つまり相手の実処(例えば手、腕)を避けるものである。人の手と腕は最も堅く、最も柔軟な部位で、対抗時には通常これらを使って攻防する。相手の手腕を避けて、相手の頭部や急所を打つのが虚を打つということである。一般的な対抗運動は全て実を避けて虚を打つ方法を採用しているが、大成拳の技撃は実を打つことができる。つまり、どの部位を選ぶわけでもなく、相手の整体を打撃するのである。なぜそうできるのか? この種の力を備えているからこそ、「虚を見ても打たず実を打ち、実こそが虚であると知るべきである。虚実転換の枢軸は、経験せずしては永遠に知り得ない」ということができるのだ。この種の技撃方法は技撃を単純化できる。先人には「人を打つ手は三、二手」という言葉がある。

問:「手が到っても脚が到らなければ、人を打つ妙はない。手が到り脚が到れば、人を打つこと草を抜くようである」とはどう理解すべきでしょうか?

答:「手が到っても脚が到らなければ、人を打つ妙はない」とは、打つこと、相手の急所を打つことを指す。例えば敵味方が交手し、我方が一手で即座に相手の顔面を打てば、相手に勝つこともできるが、妙ではない。なぜなら、この現象で人に勝っても、功夫があることを示せないからだ。功夫のない人でも拳で相手の急所を打てば相手を倒せる。このように人に勝つ拳手は多すぎて、驚くに値しない。「手が到り脚が到れば、人を打つこと草を抜くようである」とは、実を打つことを指す。例えば、敵味方が交手し、こちらが一手で相手の顔面に向かって出したが、相手の腕で遮られ、相手の実に当たった。一般の拳家の言い方では、この拳は既に効果を失い、拳法や動作を変えて再び相手を打つべきだ。しかし功夫のある人は違う。拳が相手に封じられても、横竪力の原則を運用して前に鑽を続け、同時に歩を進め、拳脚が同時に上へ追いかけ、相手を越えて倒す(拳がどの部位に当たったかに関わらず)。たとえ拳が相手の急所に当たらなくても、相手を倒せる。これが「手が到り脚が到れば、人を打つこと草を抜くようである」である。

「手が到り脚が到れば、人を打つこと草を抜くようである」とは実を打つことを指すが、こう言うこともできる。「虚を打つは妙ではなく、実を打つは草を抜くようである」と。どんな拳を練習する人も虚を打つことはできるが、過程は比較的複雑だ。過程が複雑なので、勝負も言い難くなる。実を打つのはそうではない。実を打つのは非常に難しく、誰でもできるわけではない。中国武術を練習し、しかも上乗の功夫を練った人だけが実を打てる。実を打つ過程は単純で、表面的には一、二下に見えるが、人に勝つ把握が非常に大きい。しかし練習するのは容易ではなく、非常に功夫を要する。

中国武術の大家は皆「手が到り脚が到れば、人を打つこと草を抜くようである」ができる。郭雲深はできるし、王薌齋もできる。張恩桐もできる。しかし張恩桐は寸步を使い、郭雲深、王薌齋両先生は整步を使える。整步と寸步の違いはどこにあるか? 寸步では相手が逃げる可能性がある。相手の経験が非常に豊富で、一度手を合わせただけで実力の差が非常に大きいと感じれば、機転の利く者なら逃げられるかもしれない。整步を使える者なら、相手は逃げたくても逃げられない。郭先生は一歩で五、六尺跨げると言われている。一度手を合わせれば、逃げる暇もなく、一歩で相手を越えてしまう。

「手が到り脚が到る」は功夫であり、実を打つことである。手が相手の実に触れ、前に鑽を続け、相手を越えるまで、草を抜くがようである。先人にはまた「人を見れば蒿草の如く、人を打つは行軍の如し」という言葉がある。これも同じ理屈である。「起は横、落は順、起横横を見ず、落順順を見ず」。「起は鑽、落は翻、起落鑽翻である」。これは手を合わせた後、前に鑽を続ける問題を指している。表面的には手が前に鑽するように見えるが、実際は全身全体が前に鑽するのである。この法は形意拳では上法と呼ばれる。上法とは何か? それは手が上がり、肘が上がり、肩が上がり、頭が上がり、股が上がり、膝が上がり、足が上がり、全身一貫し、一上がれば全てが上がり、力が三節を透し、気が四肢末端に貫くことである。「借法は容易く上法は難しい」。借法は虚を打つことしかできず、上法でこそ実を打てる。功夫のない者は実を打てない。功夫のない者は「手が到り脚が到る」ことはできない。「手脚が揃って到る法が真である」とは、拳が阻力に遇った後に再び手脚が揃って到達することを指す。阻力のない手脚斉到(即ち打つこと)は容易で、功夫のない者でもできる。基本的に舞踊の類に属する。

結局のところ、「手が到り脚が到れば、人を打つこと草を抜くようである」の基礎は力が三節を透し、気が四梢に貫くことである。

李栄玉『走進王薌齋』大展出版社有限公司より

姚承光先生談練拳及其它

1. 自身と父親の教授法の違い

父親の教授法は王薌齋の方法と大きく異なり、私の現在の教授法も父親のものとは大きく異なる。父親は一般に学生に道理を説明した後、学生自身に多く考え、練習し、体得させた。私は自身の数十年の修練の心得を皆に詳しく解説し、各学生の特徴に注目し、個々の素質に応じて教育する。私は自身の数十年の実感が学生たちに最短時間で最大の進歩を得させることを望む。

2. 意拳に絶技があるかどうかの問題について

意拳に絶技はない。王薌齋先生が朝に站樁をする時、郭老はまず彼の足跡の湿度を確認し、湿度が足りなければ続けて立たせた。私の父が当時修練する時、足の綿靴は濡れ透り、夜にはまだ火炉の上で乾かさねばならなかった。後に我々兄弟弟子が修練する時、父の監督の下、夏は木の下で站樁し、体の汗は地面を大きく濡らすほどだった。だから意拳に絶技はなく、あるとしても、その絶技を強靭な意志力+科学的方法+自身の悟性及び刻苦の程度とまとめてよい。さもなければ全ての「絶技」は邪説である。私自身8歳の時父に従って意拳を練習し、15歳の時にはすでに非常に努力していた。1979~1989年の10年間、私は非常に刻苦して修練した。もし父に何か絶技があったなら、私はこんなに刻苦する必要はなく、父の絶技を学べば済んだはずだ。

3. 父姚宗勲先生について

姚宗勲先生は当初意拳を練習した最初の年、各基本功を学んだ後、いつも毎日朝に干し飯と水を背負って公主墳に行き静かな場所を見つけて独りで修練し、昼は少し干し飯を食べ、水を飲んでそこで休み、しばしば一日中練習した。まさにこの刻苦訓練の精神で、父は堅実な基本功を築いた。姚宗勲はかつて言った「我に似る者は生き、我に似せる者は死ぬ」。この言葉は学術の格言に恥じない。俗に「師古して古に泥まず」というが、教師の指導の下、厳格で正しい訓練を経た後、他人を一味に模倣せず、自分の風格を練り出し、自分の特色を形成すべきだ。

4. 父の武学修養における進歩

父は20世紀40年代に王老の弟子の中で、功夫はすでに指折りだった。無数の代理試合で全勝を収めた。後に60年代頃、ある人が父に当時の功夫がすでに最高の境地に達していたかと尋ねた。父は笑って答えた。当時自分はただ若く、試合では相手の速度がとても遅く感じただけだった。今振り返ると、当時は若くて力があり、訓練は刻苦で毎日実戦を打っていたが、当時は意拳の拳理の理解がまだ十分ではなかった。今や自分は若い頃の試合成功の経験を否定した。これほど多くの年月の探求を経て、それらのものはすでに現代の格闘に適応しないからだ。絶えず否定し、絶えず革新してこそ、絶えず進歩し発展できる。前世紀80年代、父の武学修養はすでに非常に高い境地に達していたが、彼はなお広く書物を読み、修練を堅持し、西洋のスポーツ科学の訓練方法と理念を意拳と効果的に結びつけ、意拳を大きく発展させた。

5. 異なる段階の内涵の違い

武を学ぶ過程で形式上は大同小異だが、異なる段階で内涵に大きな違いがある。1988年の香港での映像を見た後、当時多くのものがまだ完全ではなく、内涵に欠けていたと感じた。今はもう50歳近いが、今は動作でも内涵でも、過去よりさらに厳密で規範的になり、意が深くなったと感じる。これは知識の蓄積、経験の豊かさが拳学に融合して形成された本質的な変化である。

6. 拳術の力量訓練における石鎖の持ち上げについての見解

石鎖がどれほど重くても、目的は自身の力量を鍛錬することだ。しかし人が実戦で発揮する力量は変化が極めて速く、極めて短い。それは瞬間の変化を要求し、動作が大きいと相対的に遅くなる。先父姚宗勲はかつて言った。通背、長拳は練習すると力量があるように感じるが、使うと力量がない。本当に打ち合うときに力んで足を踏み鳴らしても何の役に立つのか、目を見開いて、足を止めてポーズを取っても相手に攻撃の機会を与えるだけだ。だから実戦での真の力量は神経肌肉の瞬間の松緊の転換だ。ボクシングチャンピオンの一撃は800ポンドの力があるが、実戦の攻防過程で、彼はまだそれほど大きな力量を打ち出せるだろうか? だから瞬間的で短い発力だけが有効な力量だ。石鎖を持ち上げて練習するのは肌肉の硬直した力、死んだ力を練り出すだけで、拳術で講究する瞬間の変化の功力ではない。

7. 太極拳の大杆振りについての見解

太極拳で大杆を振る時も発力を講究するが、振動の過程で、大杆の揺れる幅が非常に大きい。彼らはこうすればより速く弾力を練り出せると考えている。しかし真の弾力は瞬間的で短い爆発力で、動作の幅が大きすぎれば時間が長くなり、その力量に何の弾力があろうか。ここでは誰が良い悪いを言うのではなく、鍵は搭手時の具体的状況を見ることで、これは原則の問題だ。今一部の太極拳にはもはや太極拳の味わいがなく、練習過程で意念の支配がなく、完全に形体の動作だ。実際、太極拳の「運力は糸を抽くが如し」の歩法の功夫意拳の練習ではないか? その動作幅の大きい歩法の中で渾円力を求めるのは、渾円樁を立つ微動の中で渾円力を求める効果ほど良くない。なぜなら歩法の中の動作が大きく、動作が多く、繁雑な連結で人は渾円力を摸索しにくいからだ。一方站樁は微動の中で力量を求め、思想が相対的に集中し、拳術の中の力量を速く体得できる。

8. 意拳太極拳の渾円力を求める上での違い

意拳は站樁の中で渾円力を求め、太極拳は歩法の中で渾円力を求める。

9. 太極拳の技撃基礎の問題

太極拳の技撃時に推手を基礎とするか散手を基礎とするか、これは議論に値する問題だ。

10. 意拳における剛柔相済

意拳は剛柔相済を松が多く緊が少ないと考える。一つの緊は即ち発力で、緊は高品質の緊でなければならない。打輪は一箇所に固定して打つのではなく、連続型の変化で、随機随勢に発力する必要がある。站樁の摸勁は一種の高頻度の松緊転換だ。一度搭手すれば、四方八方の勁がその中に含まれ、どこから来た力量か分からなくさせる。

11. 天賦と勤勉について

香港から来た曾先生がかつて私に尋ねた。あなたの功夫はとても凄いが、天賦があるのか。実際、誰でも意拳を練習できる。教師が最も鍵で、良い教師は学生に回り道をさせない。同時に自分の勤勉さと悟性も非常に重要だ。当初推手を練習する時、兄弟弟子が交代で推手し、練習量は計算できないほどだった。功夫を積めば、熟練すれば巧みになり、巧みになれば入化する。

12. 意拳を学ぶ心構え

意拳を学ぶには必ず落ち着いた心構えを持ち、平常心であらゆる問題に向き合わなければならない。焦ってはいけない、貪欲であってはいけない、自然に従うべきだ。

13. 先輩たちの拳を聞く目的

先輩たちの拳を聞くのは物語を聞くのではなく、先輩たちの精神を学び、この精神を自分の実際の状況と比較し、経験を吸収し、それによって自分の拳学水準の向上を促進するためだ。

14. 意拳事業への献身

私は全青春を意拳事業に捧げた。私は若者が持つべき全ての多彩な生活を失った。若い頃の私は閉鎖に近い生活を送っていた。ある時、友人が私を訪ねてきて、話す時間が少し長くなった。友人が帰った後、父は非常に怒り、彼とあなたが1時間話したということは、あなたが1時間の修練時間を失ったということだと言った。父の言葉は非常に厳しかったが、必ず私がより良く意拳を練習できるためだった。当時生活は非常に苦しく、食事に栄養など望めず、お腹いっぱい食べられれば非常に良かった。1975年に北京に戻った時、米飯と白菜が食べられれば非常に良かった。夜の夜勤時には少し米飯を持って行き湯で浸して食べた。

15. 父の教育の啓発式

当初父の教育は啓発式だった。もし全て教えてしまったら、自分で何を悟るのか?しかし今日の社会は急速に発展しており、この社会の現実に適応するために、私は自分の身をもって体得したことを全て出し、学生がこの基礎の上に自分の体得を結びつけ、できるだけ速く状態に入れるようにしている。

16. 功夫は実力で語る

拳術は学問であり、功夫であり、口先で言えるものではない。一度の対面で相手が倒れたら、それが真の功夫だ。功夫は実力で語るべきだ。

17. 意拳教育における保守的問題について

教師が保守的なら、教師自身に真の功夫がなく、故意に玄妙なふりをしているということだ。

教師の功夫が多くなく、深くなく、細かくなければ、教え終わった後何も言うことがなくなるのを恐れ、わざと期待を持たせる。父が生きていた時、こう言っていた。私のものは全て宝物だ、能力があれば遠慮なく取りなさい。意拳は手取り足取り教えるもので、個人の悟性と努力の程度に限られ、その成功を保証するのは難しい。もし更に保守的になれば、拳術はどのように継承発展するのか。

18. 意拳棍法の教育

2000年8月11日、北京南館公園で、姚承光老師が我々に意拳棍法の練習を教えた。姚老師は身をもって示範し、精細で徹底的で、我々を非常に感動させた。棍法を教え終わった後、姚老師はこう言った。拳学は即ち人学であり、拳学の趣旨は人心を正すことにある。拳を学ぶ過程は即ち如何に人として学ぶかの過程だ。拳を学ぶには厳密で精細でなければならず、人としてはさらに厳密で信用を守り、誠実に人に接しなければならない。これらの意拳の技術は私が数十年刻苦研鑽した体得で、それは全て私の心に装填されている。私はどう講義したいかそのように講義できる。このように皆に言うこともできるし、あのように皆に言うこともできる。正しく講義することもできるし、間違って講義することもできる。しかし私はやはり最も科学的で系統的な意拳の技術理論を皆に伝授する。なぜか? それは「師とは、道を伝え、業を授け、惑いを解くものである」だからだ。その目的はつまり皆に告げることだ。単に拳を練習するために練習するのではなく、重要なのは拳の練習を通じて人としての道理を体得することだ。それは即ち誠実に人に接し、信用を守り、感情を重んじることだ。

19. イタリアの弟子の評価

2000年8月1日夜、北京東方漁港大酒店で、イタリアのスティーブン氏が姚老師を食事に招待した。スティーブン氏は当時46歳で、中国武術に深い愛着を持っていた。最初は台湾の王福来氏に太極拳を学び、後に日本の孫力氏(北京人、王金銘氏の学生)に意拳を学び、イタリアで自身の武術学校を開設し、専門的に太極拳意拳を広めていた。今回北京に来たのは「祖庭への巡礼」の誠心をもって姚承光老師に教えを請うためだった。姚老師に一週間学んだ後、彼は深く感じ入ってこう言った:「以前学んだことと今学んでいることの最大の違いは、以前は中学校で学んでいたが、今は大学で深く学んでいるようだ」。その後スティーブン氏はこう続けた。「イタリアは意拳の処女地だ。現在全国で意拳を学んでいる人は300人に満たない。真の功夫があり、宣伝を拡大すれば、意拳はイタリアで大きな発展の見込みがある」。

20. 意拳の学習と文化

姚老師は言った。意拳を学ぶのは功夫を練るためであり、文化を学ぶためだ。派閥を重視しすぎてはいけない。

21. 意拳の練習目標

姚宗勲先生は言った。意拳とは何か? 意拳とは空気の中で泳ぐことを学ぶことだ。つまり身体各部位の阻力感を培うことだ。大まかにあるだけでなく、細部にもあるか、ますます細かい感覚があるか。身体各部位の阻力感が大きければ大きいほど、細かければ細かいほど、身体各部位に分布する範囲が広ければ広いほど、細かければ細かいほど、整体力もより均一で、渾厚になる。

22. 意拳を学ぶ方法

意拳を学ぶには一を聞いて十を知る能力を身につけ、悟性を持って学び練習し、創造性を持って思考しなければならない。単に要求通りにするのではなく、革新と発展を恐れず、自分のものを形成する勇気を持つべきだ。方法の要求は「川を渡る筏」としてのみ見るべきだ。川を渡ったら、筏は何の用があるか? 方法の枠組みに執着しすぎるのは、ただの足かせに過ぎない。薌老はかつてこう言った。「千年我が道の在るを知らず、藩籬を打ち破るは更に幾人か。」

23. 意拳訓練の目的

意拳訓練の目的は単に汗をかくためだけではなく、頭を使って練習し、思考しながら物事を探求すべきだ。

24. 成功の精神

成功したいなら、狂気の精神を持つべきだ。自然の中で練習することを学び、例えば歩きながら突然発力するなど、頭を使って工夫しながら練習することを学ぶべきだ。一般に2~3年練習した後が一つの壁で、進歩したいなら、新しいものを中に加え、活かして練習し活用することを学ばなければならない。

王紅宇先生の著書『永恒的懐念写于恩師去逝一周年紀念』

師父が亡くなる前日、私は家に見舞いに行った。その時師父は眠っており、私は静かに部屋に入った。老人を起こすつもりはなかったが、先生は目を覚ました。いつものように、私を見ると師父は私の手を掴み、私はその眼に無窮の思慮を読み取った。師父は拳を語る時にこのように私の手を引いた。まるで私が突然側から逃げ出すのを恐れているかのようだった。それは親愛の情であり、血縁の関係のようだった。だが全ては過ぎ去った。

師父は各人の名誉や物質的生活に全く心を砕かず、生涯投機的な行動をせず、常に状況に応じて安らかに過ごし、決して強要せず、拳術以外の事にはほとんど関心を払わなかった。誰も彼の前で是非や無駄話をしなかった。それは師父の厳しい叱責を受けるからだ。彼は生涯を通じて伝統拳術のために豊かな財産を蓄積したが、個人の生活は清水のように静かだった。彼は薌齋老先生から学んだ大成の心髄を無私に弟子たちに伝授し、国家に残し、相当数の成果を上げた大成拳家を育成した。

一度、私が師父の拳の写真をたくさん撮り、家に帰って現像し妻と整理していた時、妻は冬に師父が絹の靴下を履いていることに気づいた。その時、私の涙がほとんど流れ出そうになった。妻はすぐに一組の木綿の靴下を買い、私が師父に届けた時、思わず言った。「師父、お歳を召されたのですから、生活はできるだけ良くすべきです」。老人はそれを聞いて淡々と笑い、「拳術以外のことを考える暇はない。享受しようとすれば注意力が散漫になる」と言った。師父の内心は極めて清静な精神世界で、何十年も一日のように清心寡欲で、仏家の悟道や深山での壁観のようで、まさに千尺の深い池の水が波立たぬがごとしだった。師晩年のその行住坐臥、手足の動静の間に拳意を離れず、拳拳服膺を成し遂げた。師は門内の弟子を教授する時、さらに一糸乱れず、極めて厳格だった。

練拳初期、師は私に動物園に行って動物を観察するよう言った。特に虎の動作に注意するように。虎は体が特に緩んでおり、檻の中を行ったり来たりし、体の内側がだらりとしていた。しかしこの外見上の皮肉の緩みや安らかな様子は実は仮象で、真に内に無限の殺機と千変万化を蔵していた。ある時動物園に行くと、ちょうど虎に餌をやる時だった。私は虎もたいしたことはないと思った。目を細め、歩く時は体がゆるゆるしていた。しかし牛肉が檻に投げ込まれるや、「ふっ」と立ち上がり、目に鋭い光を放ち、押さえつけ、その新鮮な牛肉から血が押し出された。

師父は言った。形意拳で言う虎扑子は、まさに虎が餌を捕らえる動作から悟り出したものだ。表面的な類似ではない。人には虎のような鋭い牙や爪はない。どう学んでも本当に虎のようにはなれない。学ぶべきは虎が力を使うこの意味だ。虎扑子は虎扑という動作ではない。出拳、発腿、進歩、退歩すべてが虎扑の意である。

その頃、しばらく站樁をし、体にボクシングの基礎もあったので、また人とグローブをつけて打ち合いを始めた。師父はそれを知ると厳しく叱った。「誰がお前にグローブをつけて断手をさせたんだ。私は一生そんなものをつけたことがない!」そして師父は忍耐強く説明してくれた。「グローブをつけて打つのと素手で戦うのは大きな違いがある。グローブをつけると我々の拳の特徴のないものになってしまう。拳を出すのは、ゆっくりと站樁をして体得するよりも確かに速く見える。お前はまだ站樁をしているところで、体にちょっとした感覚が出てきたところだ。彼らはもう振り回せるようになっている。お前はこの時、まだ彼らに勝てないかもしれない。しかしこれは違う。これは武術ではない。例えば、お前が小学校を卒業して仕事を見つけたとする。他人は中学を卒業してもまだ貧乏学生で、カバンを背負って家にお金を求めて学校に通っている。他人は中学を卒業して大学に行くのにまだ家にお金を求めている時、お前は月に数十元稼いでいるかもしれない。しかし他人が大学を卒業して博士になったら、お前は永遠に追いつけなくなる」(師父の比喻は、当時の経済状況を指している)。

師父の話を聞いて私は目から鱗が落ちた。それ以後、私は師父の教えに従って順を追って站樁、摸勁、歩行で基礎を作り、その後の搭断手へと進んだ。過去の出来事が目に浮かぶ。師父は私にそれほど行き届いた配慮をしてくれた。私は彼から本当に多くのものを得た。

私の人生で選傑恩師に出会ったことは人生の明かりだった。師の前で教えを受けた日々を思い返すと、私は彼の教えを聞き、彼の足跡を踏みながら一歩一歩前進してきた。今思い返すと、常に払拭できない、忘れがたい思い出が心に残り、長く心に巡る。その中には辛酸や苦渋も少なくなかったが。

師は永遠に私の人生の旅路における導きの灯であり、永遠に私を光明へと指し示す。私は非常に幸運だった。恩師の拳術の心髄を得て、それによって私の人生の軌跡が変わり、私の思想が洗練された。彼は私に厚い期待を寄せ、私に力を与え、永遠に私を導き、事業の道において勇往邁進させる!

本文は『武魂』誌2001年3月号に掲載され、記事内容は若干改変されている。

雀難飛(『意拳詮釈』より)

雀難飛は鳥難飛とも称し、これは内力の伝導を運用し、神経の迅速な反応を訓練する一種の高級な練法である。その練法には三種あり、以下に分けて述べる。

1、両手で拳を握り、小鳥を掌握していると仮想する。握り締めてはならず、傷つけないようにする。しかし小鳥が飛ぼうとする時、僅かに握り締めてそれを許さない。飛ぼうとしない時は手を再び放松する。このように絶えず繰り返し、いかなる姿勢も必要とせず、いつでもどこでも練習可能である。但し注意すべきは、拳を虚握する時、掌心に吸力があり、人差し指以下の四指を並べず、中間に空隙を残し、四指を曲げて掌心に向け、指先に力を入れ、掌と接触させないことである。緊握時は実際には掌心に力を入れ、四指で行うのではない。親指は人差し指の指の間の外側に曲げ、虎口を円撑する。掌心に力を入れる時、腱張反射により、腕部の筋腱靭帯が自然に緊張し、五指に自然と力が入る。この練法は両手で拳を出して打つ時に力を発しやすく、また腕部を傷つけにくくする。

2、丁八歩で立ち、両手を撑抱し、掌心を下に向け、十指を分けて前方に指す。各指先に細い紐で小鳥が空中に繋がれていると仮想する。鳥が前に飛ぼうとする時、十指を僅かに緊張させ、飛べないようにし、堕ちれば即ち緩める。このように松緊緊松を繰り返す。但し注意すべきは、動く時は単に手指に力を入れるのではなく、整体の力で牽引する。力は大きくなくとも整体で牽引する。練習時は内力がどのように伝導するかを細心に体会すべきで、これは軽松状態下での神経の反応訓練である。

3、丁八歩の技撃樁式で立ち、両手の掌心を下に向け平行に撑抱した後、順勢規則に従い、前脚側の手を翻して掌を上に向け前に伸ばし、高さは眉を超えず、遠くても前膝を超えない。姿勢を整えた後、全身を舒張し、どこにでも争力を含み、頭と足の争力を失ってはならない。この時、前手の掌心に小鳥を載せていると仮想する。小鳥が飛ぼうとする時、脚は必ず下に踏み、反作用力を借りて初めて翅を展げて飛翔できる。掌心の感覚を細心で体会し、小鳥が飛ぼうとして両脚を下に踏む時、掌心を下に一吸し、小鳥の下蹬を空振りさせ、反作用力を借りて飛び立つことを困難にする。小鳥が留まって飛び立てない時、掌心で吐力し小鳥を抛り上げる。飛び立つ準備ができておらず翅を展げられないため、必然的に落下する。掌心で軽く一吸し、その落下を無力にする。同時に目を掌心に向け、精神を集中し、小鳥を注視しているかのようにする。このように循環反復する。左右交換して練習する。ここで指摘すべきは掌心の力は身体に由来し、腰胯を軽微に後ろ下方に座らせるか、または前上方に送り、前手の掌力の変化を催動することである。これはより高度な神経調整であり、同時に整体と梢節局部がいかに力を運用し、虚実松緊の力を断絶させず、かつ執著しないかということである。

この訓練は技撃の基礎を築くためのもので、技撃時の瞬間の千変万化に適応するためである。

楊紹庚『意拳詮釈』天地図書有限公司より

抱樹樁的練法(『意拳詮釈』より)

この樁の姿勢と全身各部位の要求は基本的に撕綿樁と同じであるが、両手の掌心を内に向け、両腕は大樹を抱くようで、両腿の内側は樹幹に貼り付くようで、全身に貼抱の意があり、確かに大樹を抱いている感覚を求める。同時に精神的に自己を放大し、大樹と対称となるほど高大になる。その後、以下の意念活動を行い、異なる方向への着力を培う。

上抜:意念は抱えている大樹を上抜する要求をする。上抜する時、両腕の外形は動かしてはならず、動けば局部の力となり、整勁ではない。正しい抜動は顎を僅かに内収する力があり、頸は上頂し、頭で全身を牽引して上抜する力を用いる。僅かに抜いただけで既に緊張し抜けなくなるが、この時放松せず、全身で絶えず力を続け、上抜する力を増強する。どのように力を続けるかは、下肢両足がいかに下に踏み、両腕の力がいかに脹満し、十指に直貫し、背中がいかに両肩を通じて力を腕に伝え、全身が一つの整体となるかを体会する。力が両足で地を踏む反作用力を通じ、絶えず上方へ両手に伝達され、十指の指先まで力で脹満する。実質的には頭と脚を主とする全身の争力の運用である。もはや力を続けられないと感じたら、全身を放松し、再び抜動する。このように繰り返す。上抜する時、拙力を用いてはならず、意念誘導により、松の中に緊を求め、舒適得力であるべきである。

下栽:意念は樹を下へ地中に押し込むことである。その力は頭を上領するのではなく、額を前に頂き顎を収め、整体を催動して両腕を下に押す。両腿は後腿の臀部が僅かに後ろ下座力があり、前腿の膝部は前頂する。両腿の間に争力が生じ、両腕の撑抱下圧力がこれにより増強される。このように絶えず力を続け、全身が脹満し、下圧の力が強まる。全身に緊張が現れたら放松し、再び下に押す。このように循環を繰り返す。

前推:樹を前推する想像をする。前推力の用い方は、前脚の膝を前頂し、前足で支え、後足は踏み、前脚と争力を形成する。上身は頭で牽引して前推し、全身が脹満するのを感じても、なお絶えず力を続けて前推するが、推せない。力を続けられなくなったら放松し、再び緊張する。往復循環する。全身の力の運作状況を真剣に体会すべきである。

後拉:樹を後ろに引く想像をする。動作は前と同じだが、背中を後ろにもたれ、前脚の膝部は脚の曲折に綱が掛かっているかのように前方の景物と連なり、整体が後ろに力を入れる時、腿の曲折の綱も同時に引き締める。整体を後ろに引いて緊張し、もはや緊張できなくなったら、全身を放松し、再び引く。このように循環する。

左右転動:前述の樹を上抜、下圧、前推、後拉の上下前後の力を得た後、樹を左右に転動できるか。歩法が前後支撑のため、左右に揺れると身体の重心が不安定になるので、左右に推すのではなく、転動を用いる。転動時に生じる遠心力は、推す力より強大である。左右に旋転する時、抱樹の姿勢と身体各部位の要求は前述の通りだが、意念で樹を左右に転動させる。転動時、頭と脚の争力を軸とし、頸は上頂し、顎は下圧し、歯を噛み締めるような勢で、上下一争し、体内に軸柱が現れたかのようになる。頭を転動したい方向に僅かに捻り、腰胯は車輪のように転動側に旋転する。実際には僅かに転じただけで動けないが、神意でそれを止めずに転動させ、全身の力を両腕に伝えると、抱いている樹が転動しているように感じる。腰胯の転動が速いほど力感が強くなる。腰胯の転動は形に表してはならず、内力の転動のみである。このようにして腰胯と腿部筋肉の機能が強化される。腰胯だけでなく、全身のいかなる肢体も変形させてはならず、さもなければ力が散じ、すべてが無に帰す。この転動は左右どちらでも、順歩か拗歩のどちらでもよいが、一側ずつ体会し認識すべきである。やはり緊張してもはや緊張できなくなった後に初めて緩める。要するに松緊をいかに適度にするかは自分で把握し、常に舒適に力を得ることを基準とする。この転動から拳術で言う「腰如車輪」と「持環得枢」の枢の所在を体会できる。

この抱樹樁を練習する時、上下前後左右の運力を求めるだけでなく、樹を中央から裂くか、または開合力も求める。開は、樹を抱いた後、両手十指で樹を中央から裂くが、その力は単に十指に力を入れるだけでなく、全身を挺抜し、肩撑肘横し、両足で地を踏んで支撑し、その力が腰脊を巡って上がり、肩腕を通じて手指に伝わる。反対も同様で、力が両腕に伝わり内に擠抱するが、これは内力の伝導であり、肢体は変形させてはならない。開合力も実は全身力の基礎である。

この樁を練習する時、上下前後左右開合の力を一項目ずつ徹底的に習得し、その鍛錬も塑形、定型、自動化の段階を経て進める。定型が安定する前に、時に上、時に下、時に前、時に後と混雑して練習してはならない。定型後に初めて混雑させ、さらに上かつ下、前かつ後、左かつ右と曖昧に混雑して練習する。応用時には一触即発で、自分でもどのように力を用いたか分からないほど、自然な条件反射を形成する。即ち自動化であり、また所謂の「拳は無拳、意は無意、無拳と無意こそが真意である」である。

薌齋先生は拳を論じるに「中」の字を極めて重視し、常に守中用中を説き、最も重要な要訣は「守中用中」の四字のみだと言う。どのように「守中用中」するか? 私の数十年来の習拳体験によれば、抱樹樁の上下前後左右六面の運力は争力の具体的運用であり、また渾元力の培育でもある。薌齋先生曰く「習拳にてこの争力を得れば、初めて神気意力の真実の合一をなし、その後中を得て、力を得たということができる」。守中とは本身の肢体の平衡対称を保ち、鼻を基準とする中線を守り、力量を均整にし、中力を失わず、中神を失わないことである。用中とは上下の争力を枢紐とし、任意に運用して六面力を生じることである。上下前後左右の六面は即ち六合であり、空間を指し、三次元空間である。内三合、外三合があり、これは協調の意を指す。

総じて一言で言えば、抱樹樁は拳術の内勁を培う主要な途径であり、習拳者には真剣に重視してほしい。この樁の基礎が深厚でなければ、深造は難しい。争力に明確な概念があり、また渾元力も具備すれば、これは内勁を有し、練拳に初歩的基礎ができたということである。内勁はどのように外に作用し、外界と関係を生じるのか? 薌齋先生曰く「性を見、理を明らかにした後、力は身外に求む。」これは以下の樁法から求めるべきである。

楊紹庚『意拳詮釈』天地図書有限公司より

撕棉椿的練法(『意拳詮釈』より)

間架は養生の抱樁式から、両足の踵を軸として側面に45度旋転し、左転は左式、右転は右式とする。転体後の両脚の位置形状は、前脚の踵が後足の掌の踵部に斜めに対し、丁字歩でも八字歩でもなく、丁八歩と称する。身体の重心は両脚の間にはなく、後脚の臀部が後座し、いわゆる掖胯であり、後腿が支撑腿となり、両足の力量配分は前三後七となる。このような歩位を採るのは散手時の歩法と結合し、前進後退に便利で、随時技撃の需要に適応するためである。歩を定めた後、全身を逐次調整し外形及び内在要求を行う。

内在要求:

頭:養生樁の要求通り、下顎は収めて小球を挟んでいるようである。頸は上頂し、力は軽松自如で、有るようであり無いようであり、緊張は許されず、全身を統領し上提する意があるべきである。目光は平視して内斂して、散じてはならない。凝神し、両耳は微雨を聴くようである。

肩:外撑、前裹して、肘は撑として、背闊筋の舒展を感じ、力は腕に通じる。

手:前腕は上揚し、掌を翻して掌心は外に僅かに仰ぎ、十指は相対し、掌心は凹んで内吸の力がある。腱の張反射により、自然に挺腕し、十指を張開し、力は指の間に貫く。手の高さは眉より僅かに低く、両手の距離は肩幅とほぼ同じである。

腰:養生樁で述べた要求のように、小腹を下に放松し、尿に似て尿に非ず、腰部の腱張反射を引き起こし、股関節四周の筋腱を僅かに伸ばし、上身と下肢を通連させる。躯幹は正直で、僅かに後ろにもたれかかり、前に俯してはならない。

腿:両大腿の肌肉は上縮、内裹で、股の内は大きな木の棒に跨るようである。

脚:膝部は微かに屈し、膝蓋骨は上提し腱張反射を生じさせ、前脚の指は自然に地を掻き、踵は虚に起こす。後脚は支撑腿となり、足掌は地を蹴り、踵は下に踏むが、踏んでも死なず、全脚を平板に着地させてはならない。

姿勢を完備した後、全身を放松し、舒展挺抜し、精神を放大し、全身関節が通連しているかを領悟し、上下が整体を形成する。形が備わった後、練功状態に入り、意念誘導を通じ、両手の間に掛かる絹綿(もしくは弾力線や弾簧)を仮想し、両手の外形は動かさずに、暗勁を用いてこれを裂く。この時両腕と掌に緊と力を感じ、指先は膨張するが、僅かに裂いて緊となるだけで不動である。このように数秒間裂いて緊となった後放松し、再び裂く。このように繰り返し緊緊、松松し、意念が一動すれば明らかな感覚が現れた後、逐次深入りする。

まず両手の人差し指と両眉の間にも無形の弾力線が連なると仮想し、両手で綿を裂く時、眉と手の間の弾力線も同時に抽緊する。抽緊が延続する時、細心に体会すれば、掌腕の力が実際には肩撑と肘横から来ることを感知できる。更に進めば、掌腕を裂いて緊として力を入れる時、前後の脚も自然に全身を支撑し、地を蹴って力があることを感知できる。この感応に熟練した後、頭と足の間の内在的呼応を増加させ、頭と脚の間にも無形の弾力線が抽緊しているかのようにし、頭が上領するほど、足下は踏みしめる。この抽緊の感覚が即ち争力である。この樁法では、一度緊張したら直ぐに緩めるのではなく、緊とした後全身がいかに力を続けるかを体会し、緊にして再び緊とするが、硬くなってはならず、硬直しそうになったら即座に放松するが、間架は変動させてはならない。放松した後に再び抻緊し、意を用いて力を用いず、意念が真実であれば神経が反射して肌肉を駆動して力を入れる。故に意は即ち力である。この樁式で争力を培う時、上下の争力、即ち頭と脚の争力に注意せねばならず、これが整体争力の枢紐であり、即ち渾元力の核心であり、永遠に失ってはならない。

以上述べたのは渾元力を求める初歩的入手であり、生理学的には全身関節の筋腱、即ち通俗に言う「筋」を強化することである。拳術には「筋長力大」という名句があるが、これは通常の腰を折り腿を伸ばす抻筋とは異なる。この種の争力は実質的に筋腱の収縮力を増強するものである。この対立する二組の筋腱が同時に力を入れねばならないため、「筋に力あれども骨に蔵す」と言われる。

争力があるのは全身骨格の支撑を増強し、整体力量を増強しただけであり、力の運用とは等しくない。力の生発運用を求めるには、抱樹樁を立たねばならず、姚宗勲先生の著書『意拳』では渾元樁と称す。私が易名したのは樁式の内在的精神假借から定めたものである。

楊紹庚『意拳詮釈』天地図書有限公司より