意拳浅談

意拳/大成拳を研究しています。翻訳は意訳です。

李洛能先生の著書『形意拳譜』(2)

呼吸合道

人は気を本とし、心を根とし、息を元とし、腎を蒂とする。天地は八万四千里離れ、人の心腎は八寸四分離れている。一呼すれば百脈はみな開き、一吸すれば百脈はみな閉じる。天地化工の流行も、呼吸の二字を出ない。呼吸の法は、三節の道理に分かれる。初節の道理は、色身の上の事であり、即ち拳術の準縄である。呼吸はその自然に任せ、外に形があり、これを調息と言い、練精化気の功夫とも言う。二節の道理は、身法の上の事と言い、呼吸は内に形があり、丹田に注意し、これを息調と言い、練気化神の功夫とも言う。三節の道理は、心腎相交の内呼吸であり、無形無象、綿綿として存し、有るようで有らず、無声無臭であり、これを胎息と言い、練神還虚の功夫である。呼吸には三節の道理があり、拳術には三歩の功夫がある。これを明勁、暗勁、化勁と言う。明勁とは、拳内の法であり、伸縮開合の勢であり、外に形がある。暗勁とは、動転神速であり、動けば変じ、変じれば化し、変化神奇であり、内に形がある。化勁とは、無形無象の手法であり、見えずして章となり、動かずして変じる神化である。この三歩の功夫拳術の根本実際の道理であり、術を練り道に合する真訣とも言う。この道理を知れば、性命双修と言えるのである。

三歩功夫

易骨は、明勁である。練習時、身体の動転は必ず順逆であり、悖逆してはならない。手足の起発は必ず整斉であり、散乱してはならない。これによって基礎を築き体を壮健にし、骨髄を充足させ、金石のように堅く、気質形容は山岳のように壮である。これを初歩の功夫と言う。

易筋は、暗勁である。練習時、神気は円満で、形式は綿綿とし、舒展応用し、活発で滞らない。これによって筋を長じ膜を腾め、全身の筋络を伸展させ、縦横に連絡し、無窮の力を生じる。これを二歩の功夫と言う。

易髄は、化勁である。練習時、周身の運転、起落、進退、伸縮、開合は力を用いず、神意を祖窍の内に蛰蔵し、身体は円活で滞りがなく、形は流水のようである。その心は空っぽで霊根を養う。これを三歩の功夫と言う。

七拳法

头、肩、肘、胯、膝、足、手である。

八字诀

斬——劈拳、截——鑽拳、裹——横拳、跨——崩拳、挑——践拳、燕形、頂——炮拳、雲——鼍形、領——蛇形。

五行名称

五行とは、金、木、水、火、土である。内には五臓があり、外には五官があり、いずれも五行と相配する。心は火に属し、肝は木に属し、肺は金に属し、腎は水に属し、これが五行の内に隠れているものである。舌は心に通じ、目は肝に通じ、耳は腎に通じ、鼻は肺に通じ、人中は脾に通じ、これが五行の外に著しているものである。五行相生の道は、金は水を生じ、水は木を生じ、木は火を生じ、火は土を生じ、土は金を生じる。また相克の義もある。木は土を克し、土は水を克し、水は火を克し、火は金を克し、金は木を克し、これが五行相克である。五行相生すれば、変化は無窮であり、五行相克すれば、他人の手勢を破るた。けだし拳術の名を取る義は、ここに基づいている。身から取れば、五臓を充実させ、全体に亀裂がなく、外に運用すれば、体を舒和畅にすることができ、内に運用すれば、清気を上昇させ、濁気を下降させ、内を堅実にし、外を整飾し、平時の練習規則とする。

形体合一

『易』に「両儀四象を生じ、四象八卦を生じ、八八六十四卦の数は、皆太極から分散して来る」とある。太極とは、天性の命であり、即ち人の心意である。意とは、心の発するものである。人は万象の霊であり、諸事の応に感通することができる。そのため、心は内にありながら理は物に周り、物は外にありながら理は心に具わる。故に心意が中に誠であれば、万物は外に形となる。内にあるのが意であり、外にあるのが形であり、術数に合う。近くは身から取り、内は五行となり、遠くは物から取り、外は十二形となる。内外が相合すれば、形が生じる。その理を明らかにすれば、天地万物の形体は合一であり、皆黙悟することができる。