意拳浅談

意拳/大成拳を研究しています。翻訳は意訳です。

フルコンタクトKARATE2014年11月号

意拳×太気拳交流記(中編)

  • 登場する先生
    • 姚承栄
    • 島田道男
    • 佐藤聖
    • 天野敏
    • 鹿志村英雄
  • 内容

印象に残った言葉

(丁八歩は膝から下が土に埋まっている状態をイメージした上で)前にも動かせないし後ろにも動かせない、フラフラしない固定された状態です。ここが固定されていることが重要。これがさまざまな立ち方の基本になります(姚承栄)

(腰の後ろから伸びた支えが地面に突き刺さって体を固定している状態をイメージした上で)肛門から腰までを線で繋げて、その途中の部分に押すと痛気持ち良いツボがあります。そのツボから支えが出ている、とイメージします(姚承栄)

後ろ足を下げる動作が、あたかも弓を引くような動作であるようなイメージです。真後ろの方向にやや引いてください(姚承栄)

丁八歩は『常に即座に動ける立ち方』なのです。站樁をする時、前後左右上下どの方向への力を出す時でも、ふさわしい歩法とも言えます。丁八歩に全てが集約されます(姚承栄)

動いている間も争力は保たせます。ただし、緊張しないで硬くならないようにします。この状態で『摸勁』、つまり力を探る動作に入ります(姚承栄)

見た目には全然動いていないように見えます。でも、本当に微妙ですが動いているのです。前後左右上下、本当に小さい動きです(姚承栄)

突然動いたりできるようにします。パッ! と触られた瞬間、自分もパパッ! と一瞬にして反応できるようにするんです。これを『意到力到』と呼びます。意念、意識が力と結合した状態です。これは人の本能が発揮された状態です。つまり自然化・自動化された状態であり、練習によってこの域まで達しなければなりません。ただし、見た目にはそんな素振りは一切見せておかないこと(姚承栄)

お互いに練習を進めていく内に、『あっ、いけない!』と思った瞬間に構えもしないで瞬間的に動くことができるようになるはず。その時には決まった形もなく、準備もしていない。ただ、それはどこから生まれてくるかというと、形も意味もあるところから生まれてくるものなんです。形あるものが形の無いものに変わって、さらに形の無いものが、戦いの段階で形のあるものにまた戻ってきます。それが人の本能というものです(姚承栄)

セミナー内容に関しては、参加者全員に「動的平衡」という概念が希薄に思えた。力の方向に関しては円柱の上下の変化(体積は一定として)と捉えればいいように思えた(島田道男)

これが全体の力になります。前に行く時は後ろ足、後ろに行く時は前足を踏み込みます。また、これまで注意した頭と足の引っ張り合う関係、首と手首と引っ張り合う関係にあることを決して忘れないでください(姚承栄)

力が行き過ぎないようにしてください。行き過ぎると崩れてしまって戻れなくなります。『ちょうどいいところ』を探さないといけません。力を出し過ぎないことです(姚承栄)

腰が固まっていたら、踏み込みで生み出した力が前にも後ろにも出て行きません。足を踏み込んで力を出した時に腰を柔らかくして動きを持たせることで、肩を通じて上下左右前後の力を出します(姚承栄)

スピードを上げたからといって力を失ってはいけません(姚承栄)

ちょうど車で急ブレーキをかけた時のようなイメージで足を使います(姚承栄)

力を使う状況によって虚と実、この二つの状態を踏み分けています。踏み込みが強過ぎるとスピードが遅くなってしまう恐れもあるので、あまり実に偏り過ぎてもいけません。虚は、いつでも変化できる状態ですから、後ろに行ったら前を軽く(虚)、前に行ったら後ろを軽く、そういう循環をします。そういう循環が無く、体が常にまっすぐな状態だと、動きも小さくなりますし、力も小さくなります(姚承栄)

先ほど説明した虚と実ですが、この発力した時に実、戻った時に虚になります(姚承栄)

同じ場所で足を踏み込むんじゃなくて、前の方に前の方に、と動きます。車のブレーキを突然踏んで乗っている人の体が前に飛び出した時のような動きです(姚承栄)