意拳浅談

意拳/大成拳を研究しています。翻訳は意訳です。

力之運用(『形意大成拳』より)

一、平衡与单双重

一般的に、歩幅が大きいほど、重心は自然に低くなり、明らかに歩幅が小さい場合より安定する。また、人が移動しているときは、立ち止まっているときほど安定しない。動かないときは大きな歩幅でいいが、相手と対峙するときは立ち止まることはできない。歩幅が大きすぎると、前進や後退、旋転が霊活にできず、速度も自然と遅くなるため、応用時には「小步快走」を多用する。つまり、歩と歩の間の距離を短くし、移動中に攻撃を受けて不安定になる機会を減らすのである。

安定性はまた、両手両足の重量分布とも大きな関係がある。站樁を例にとると、平椿の基本的な立ち方は、両足の負担が平均的で、両腕は左右が平均的、または一時的に左四右六、または左六右四と交代する。斜椿には様々な組み合わせがあるが、基本的には双重(左右の重量が等しい)、単重(一方が明らかに重い)の二種類がある。しかし、二と八の比率の分布が出現する機会は非常に少ない、なぜなら非常に簡単に平衡を失うからである。

注意すべきは、発力する瞬間に、両手両足の力は平均的に分配されるべきであり、すなわち単重と双重とは無関係で、「平衡均整」であるべきである。

二、作用力与反作用力

これはニュートンの第三運動法則である。意味は、作用力と反作用力は方向が相反し、大きさが等しく、同一直線上に作用する一対の力である。日常生活で最も見られる例は、人々が歩く時、常に足で後ろに地面を蹴り、そうすることで地面に一つの作用力を与え、地面から足への一つの反作用力が人々を前に進めることである。

向前発力の節で述べた発力時の「両足の足跟を下に踏む(=下踩)勁」の目的は、下踩の力(作用力)を利用して地面から生じる反作用力を引き出し、腰椎、腕部を通じて相手の身体に伝えることである。だから足跟の含虚は重要である。足跟は発力の一瞬だけ実で踏む。

三、慣性力

多くの人が以下のような経験を持っているだろう。公共バスに乗っていて、バスが走行中に立っている時に、バスが突然ブレーキをかけて停止すると、人は立っていられずに前に進んでしまう。これは、バスが停止しても、人にはまだ慣性があるため、手すりを掴まないと転倒することになる。動から静への突然の変化で、体の慣性力は消えていない。

良い歩法はこのような力を利用して相手を推し動かす目的を達成することができる。つまり、移動中にいつでも停止する必要がある場合、全身がブレーキをかけるように同時に停止し、慣性力が体から相手に向かって突進する。しかし、その全効果を発揮するには、小腕と相手との接触点の掌握が適切である必要がある。

四、向心力与離心作用

物体の運動には主に直線運動と円周運動の二種類がある。

円周運動とは、ある一定の弧を描く運動のことである。例えば、公共バスに乗っている時、バスが急にカーブすると、座っている人は座席が固定されていなければ、バスが左に急カーブすると、人は右に飛ばされる。これは向心力が生じる遠心作用である。

拳術家の出拳,は、腕が外に伸びるだけでなく、腰背が大きく捻転するのを見ることができる。これは二種類の運動を含んでいる。手の直線運動、腰の円周運動である。腰の運動は自然と手の運動に遠心作用をもたらす。拳術家は、腰背の捻転によって生じる遠心作用を利用して手で対処する必要がある。単に攻撃力について考えると、手は主な役割を果たさず、手腕の屈伸によって発生する力は、腰背が発生させる力には遠く及ばない。

五、斜面

平面上に置かれた物体が静止していられるのは、物体が受ける重力と地面からの支持力が一直線上にあり、それらの合力が0に等しいためである。そのため、この物体は静止を保つことができる。

しかし、物体を斜面上に置くと、下に滑り落ちる。重力は垂直に下向きであり、その分力が物体を下に滑らせる。

站樁時、両手を胸の前で環抱し、肘が手より低い位置にあると、小腕は斜面を形成する。相手の小腕が私の小腕の上に乗れば、私は分力の原理を利用して、小腕にかかる力を分散させることができる。

六、螺旋

螺旋は実際には円柱に巻かれた斜面である。

拳術の運用においては、弧形の動作で相手の力量を自身から引き離す。これは揉球動作で求められる円運動を含む。大きな円が小さな円を包み込み、形のない円に至るまで、李紹伝大師兄が常に言う内螺旋はまさに形のない円であり、功力が深くなければできない。

七、把重量化成力量

重量に加速度を乗ずれば力量に等しくなる。大きな木製の車を押すのは、小さな木製の車を押すよりも大きな力を必要とする。同じ木製の車を押す場合、荷物を積まない時は速く動くが、荷物を積むと動きが遅くなる。推手の時、足を速く動かし、直接相手の重心(身体の中線)を指すことは、身体の重量を動きによって力量に変換し、一種の圧力を作り出し、相手を不安定にさせ、相手の平衡を破壊する目的を達成することである。

杭打ち機は、鉄鎚を高く吊り上げ、吊り紐を解放して自由に落下させるだけで、その衝撃力を利用して杭を地中に打ち込む。師が人と搭手する時、時には軽く一撃で相手を跳ね上げることがある。一見手で行っているように見えるが、実際には師は身体を下座力を利用しており、小腕の力で人を打つわけではない。拳法を学ぶ難しさは、身体の動きが非常に小さいため、人々が手で打っていると誤解しやすいことである、手の動きだけを学んでも効果が出にくい。

静止している車が高速で走る車に衝突された場合、衝突された車の方がより大きな損害を受ける。これは動いている車が動量を静止している車に移転するからである。

だから、人と手を搭手する時、しばしば足を使って相手に衝撃を与える一種の動量を形成することが求められる。このことから、歩法の重要性が明らかになる。これは「動で静を打つ」の応用である。

八、杠杆(撬棒)

人と搭手する時、相手の小腕が私の小腕の上にある場合、相手の重心を動かせるかどうかの鍵は、しばしば私たちが接触しているその点にある。

接触点は支点であり、相手の小腕は阻力腕となる。この時、私は手首を鼓起して、指を軽く曲げて相手の身体を指向することで、自然と私の小腕の肘近くが持ち上がり、それによって相手の小腕を持ち上げる。この動作を私は「起動」と呼ぶ、これを上手く行えなければ「点上で人に発する」ことはできない。注意すべき点は、接触点で相手と勁を競うのではない。

九、時間与空間

力の運用は、時間と空間を巧みに利用する必要がある。

時間には、発動の機、手と足の速度などが含まれる。肌肉の一松一緊の転換時間が短ければ短いほど、発揮できる力量は大きくなる。一時松一時緊であり、又緊又松であり、松松緊緊となって、相手に予測させない程度にする。完全松から緊にするより、松中の緊の方が時間が短くなる。発動の機をうまく掌握すれば、力を適切な場所で発揮し、時間と労力を節約できる。戚継光『紀効新書』巻第十二、短兵長用の篇には「ただ彼の『旧力がほぼ終わり、新力は未だ発動しない(=旧力略過、新力未発)』の八文字だ」とある。これは「機を得る」ということである。

空間には、手腕と体の間、敵と自分の間の空間が含まれる。標準的な間架は、進めば攻撃でき、退けば防御できる、最も時間と労力を節約する構造である。アメリカ西部のカウボーイの決闘では、先に銃を抜けば、その人が勝利を握る。良好な間架は、常に銃を握り、さらには引き金を引いておくことに等しい、いつでも発射できる状態である。手腕が体に密着していれば回旋の余地がなく、手が突出しすぎると力が散ってしまい、戻すのも時間がかかる。敵と自分との間の空間は、双方の足の移動によって絶えず変化しており、多くの場合、自分の正面を敵の側面に向けることで、その活動空間を制御し、有利な機会を作り出すことができる。

時間と空間を共に掌握することは、「機を得て勢を得る」ことである。

陳雲開『形意大成拳』芸美図書有限公司より