意拳浅談

意拳/大成拳を研究しています。翻訳は意訳です。

フルコンタクトKARATE1999年12月号

生涯現役の実戦中国拳法 太気拳

  • 登場する先生
    • 岩間統正
  • 内容
    • 岩間先生が語る澤井先生と練拳のシステム
    • 技術編

印象に残った言葉

私はよく例えにだすんですけど、回っている扇風機に指をつっこむとバチッと弾かれるでしょ。でも最初に回り始めるとき、まだ加速がついてないときなら指で止められますよね。体の大きなヤツがフル回転しているところに入っていくのは非常にリスクを背負わなければならない。けれど、立ち上がりのところで潰しちゃえば力はでない。こちらがある程度の法則を以て闘うことができればある程度は何とかなる。こういった法則みたいなものを本当に理解し始めたのが45歳を過ぎたぐらいからですかね(岩間統正)

要するに相手が私を殴りに来たときっていうのは私の拳も相手に届く距離にあるんです。そのチャンスを逃しちゃいけない。多少のリスクを負わないことには相手を倒すことはできないでしょう。その時に瞬間の"見切り"っていうのが必要になってくる。それは何かというと、これはもう例を挙げるしかないんだけども、相手が吹き矢を吹いてきたとする。飛んでくる矢を目で捉えてこれを躱そうとしたってブスっていっちゃいますよ。ところが吹き矢を構えて吹く瞬間、その気配を捉えて体が反応すれば躱せるんです。だから、そこに"もし当たったらどうしよう"というような時邪念みたいなものが入ったらもうダメですよ。相手の前に立ったときには虚無の気持ちになって、死のうが生きようが殴られようが知ったこっちゃないんだと(岩間統正)

相手の前に立ったからには、相手はもう"影"ですよね。どんなに体が大きかろうが、どんなにおっかない顔してようが関係ない。その影が来た瞬間にこっちパッと反応するだけのことだから。その感性的なところに自信が持てれば、後は自分の手が答えをだしてくれるんだと(岩間統正)

手は触覚なんですよ。だから相手が打ってくるのを躱すんじゃなくてそこに手をぶつけるんです。手が接触したところから物語が始まる(岩間統正)

でも、どんなに頭を使っても体が動かないことには話にならないんですね。そうすると、体って何かというと血液と骨と筋と筋肉。だから強靭で伸びやかな筋と弾力のある筋肉を持って、少々歳をとっても上段蹴りくらいできる柔らかさをキープしてないと、自分がこうしたいという絵が描けないんですよ(岩間統正)

澤井先生なんか70歳過ぎても弟子に胸を貸してましたからね。糖尿を患っていたので決して健康体ではなかったんです。弟子の前ではツッパッていたんでしょうね。家に帰るとウナギみたいにグタッと寝てたみたいです。そんなもんですよ。でもその瞬間でも踏ん張れるというのは大したもんですよ(岩間統正)