意拳浅談

意拳/大成拳を研究しています。翻訳は意訳です。

李照山先生の著書『大成拳的内勁場』

筆者は「大成拳的自然力」に関する記事(『精武』1988年第6号参照)で、自然力の属性について大まかに説明した。今回は「内勁場」の概念を借りて、大成拳の勁力体系について総合的な分析を試みる。不妥な点があれば、同道による訂正をお願いする。

内勁場之概述

自然力は大成拳の内在する功力の一種の体現であり、様々な勁力の総称であり、大成拳の内勁の根本である。自然に発力できるようになれば、具体的な運用で取り入れる様々な発力の形態、弾、震(=抖)、崩、摔、鑽などが自然と明らかになる。

功力の状況により、大成拳の自然力は小乗、中乗、大乗の三つの異なる段階がある。それには低級から高級へ次第に変化し、向上する過程がある。真の大成拳の門人として、体内に具有する内在勁力は多様であり、自然で本能的な特性を持ち、違いは威力の強弱にある。言い換えれば、層次の問題が存在する。低層次の力は比較的単純で、本能は最大限に発揮されにくい。高層次の力は孤立した力ではなく、一つの勁力の体系として、すなわち内勁場の形で現れる。千変万化し、自己の敏感な触覚によって、異なる形の勁力に応じることができる。

低層次から高層次への変化を達成するには、科学的で系統的な鍛錬を経なければならない。特に身法調整と心法調整に注意を払う必要がある。身法調整とは二つの意味を含む。一つ目は、異なる練功段階で異なる站樁や試力の訓練を行うことであり、二つ目は、どのような姿勢で練功しても、体の各部分を適切に協調し、適当に使用することである。心法調整とは、精神と意感の訓練である。異なる身法と心法の調整により、自己の力感意識は異なる。

練功初期は、矛盾桩、鈎銼試力、摩擦步を主な功法として練習することができる。站樁と試力が段階的に深まるにつれて、大まかに五段階を経る練功過程が必要となる。

第一段階:站樁や試力において、身体の各部に伸びやかでない感覚があるかもしれない。例えば筋肉のだるさなどである。この段階では主に筋肉の緊張を解消し、練功への適応性を培うことが主目的であり、「肌肉の松弛力の増強」を達成し、松であっても緩みすぎず、緊であってもこわばらない。王薌齋先生が言うところの「意中力」を求める。

第二段階:站樁時は非常に快適で自然であり、胸は広々とし、腰は充実し、温かさを感じる。試力時には「意を用い力を用いない(=用意不用力)」ことができ、推す時も引く時も物の感応がある。例えば、船を推すような感じで、意に随って前に動かす。

第三段階:站樁時、体に膨張感と重力感があり、自身の力は千鈞の重さのようで、泰山のように安定している。試力時には「力と意が相反する(=力意相逆)」ことができ、手に重さと実物感があり、推しても動かず、引いても来ず、止まろうとして動こうとし、動こうとして止まろうとする感がある。この時点で「内勁」の存在を感知し始め、大成拳の「自然力」の初歩を具える。

第四段階:站樁時、「内勁」が強まり、全体の腕に外側への膨張感がある。これにより「力」の実質についての理解を深めることができ、この「力」は站樁時にも普段にも存在し、脳内にこの「力」のイメージがあるような感じがする。試力時には「力と意が相随う(=力意相随)」方法を取り、「内勁」が肩から腕へと移動するのを感じる。站樁時にも「内勁」が末端へと移動する感覚がある。特に蛇纏手を行う時にこの感覚が最も顕著である。

第五段階:站樁や試力を問わず、精神が充実し、整体で空霊である。王薌齋先生が「大成拳論」で述べたように「全身に空霊の意を持ち、羽一つも着くことは許さず、有形は流水のようで、無形は大気のようである」。羽が自分に向かって飛んできても、自身の空洞の部分にだけ落ちる。このように肌肉が無くなったようで、ただ一種の特別な力の存在を感じるだけである。この時点での力は、単一の孤立した力ではなく、一体化し、高層次、高効率、多変性を持った「場」として現れる。これが大成拳の内勁場である。

二、内勁場之剖析

大成拳の内勁場の基点は初級の自然力であり、これは単に本体の重力感や加速度の発揮に限定されるものではなく、より高い層次の内在するものが主要である。この点を理解しないと、大成拳の中の各種の勁力を分断して考えがちである。実際には、これら異なる勁力は、実際には一体から源を発している。内勁場を得た後、その様々な形の力は、わずかな練習と体験を通じてすぐに掌握できる。例えば金、木、水、火、土の五行の力、また整体力、渾元力、二陽力、鞭力、磁力、杠杆力、纏綿力、螺旋力、弾力など、一度指摘されれば、すぐに得ることができる。

内勁場の作用は、より広範な実用性を持つことにある。王薌齋先生の身体を弾く功夫は、実際は高級な「内勁場」の作用の結果である。私が王選傑先生に学び始めてから、先生は何度も様々な力を実演してくれた。ある時、先生が私の胸前で軽く一押しすると、まるで鉄槌が打ち付けられたような感覚がした。また別の時、先生が二陽力を演示し、先生の全身が微かに震えると、私の全身が弾かれるように飛び、後ろの壁に二メートル離れた所にぶつかった。これもまた、より自由化された「内勁場」の作用と考えられる。

自然力の訓練方法に従って站樁や試力を行うと、徐々に「内勁」が生じることを感じるが、もちろんそれはまだ「内勁場」ではない。この時点で、胸部、背部、肩部などに明らかな膨張感があるが、これは「内勁」の初歩的な表現形式である。ただ膨張感だけで「内勁」を説明するのは不十分である。このようにして、「内勁」は体内で徐々に拡がり、深まり、ついには肢梢まで通達する。

この種の「内勁」には「緊」の感覚があることを感じる時がある。さらに放松するほど、この感応は明確になるが、これは肌肉の緊張とは異なり、実際には体内の充実を表すものである。手で触れると、肌肉は相対的に緩んだ状態にある。「内勁」が深化すると、体の抗撃性もそれに応じて強化される。私の下で拳を学ぶ学生は、3〜5ヶ月の練習後、体の多くの部位が一般人の拳打や蹴りに耐えられるようになる。これは「内勁」の効果である。この種の「内勁」は体内の深層、または肌肉と骨格の間で形成される。

「内勁場」は、単一の「自然力」と「内勁」が相互に作用し、互いに浸透し合った結合として概括できる。もし「自然力」だけで「内勁」がなければ、より大きな威力を発揮するのは難しく、逆に「内勁」だけで「自然力」がなければ、この種の「内勁」は上手く発揮されない。站樁は「内勁」を養うことに重点を置き、試力はこの種の「内勁」をさらに空間に延長し、実用性を持たせることが目的である。ただ站樁の訓練を行っているだけでは、「内勁」も単なる「死勁」に過ぎず、技撃には用いづらく、健身にのみ益する。王薌齋先生は明確に指摘している。「站樁に相当な基礎があれば、一切の良能の発展は日増しに強化され、試力の功夫を続けて学ぶべきであり、各種力量及び神情を体認し、真の効用を期する。この種の練習は、拳術の中で最も重要で最も難しい部分の一つである」。試力を行うことで、「内勁」が延伸する効果のみならず、強化する効能もある。こうすれば「その本能的な自然力は内側から外側に向かって、自然と徐々に発達することが難しくない」。

大成拳の「内勁場」を獲得するには、全面的な功法の訓練が必要であり、その中には特別な効果を持つ樁法がある。全体の練功過程で、一種の樁法を主にし、他の樁法や功法と組み合わせて練習することが必要である。そうでなければ、上乗の境界に到達するのは難しい。

矛盾桩の練習を通じて基本的な力感を得ることができ、托宝貝桩を行うことで精神を振るい立たせ、意感を強化することができる。鳥難飛樁を練習する時、手の不規則な動きによって「内勁」をより効果的に発揮することができる。他の樁法、例えば伏虎樁、降龍樁、子午樁、金鶏独立樁などは下肢の功力に非常に効果的である。実際の練習では、安定した重心を維持し、高い重力感を得て、効果的に放松したり、相手を弾き飛ばしたりするためには、強靭な下肢が支えとなることが不可欠である。以下では、相当な功底を持つ者が大成の精髄を総合的に掌握するための練習として、抓球桩、伏虎桩、降龍樁の功感の効果を分けて述べる。

抓球樁:矛盾樁のように、練功を始めると疲労反応があり、「内勁」が消耗され、「内勁場」が弱まる。その後、腕には温流感、麻痺感、深重感があり、手には厚みが増す感覚がある。「内勁」は日増しに回復し、全身に均等に発展し、「内勁場」に新たな充実がもたらされる。練功後、体は満ち足り、両脚は軽松となる。これは技撃時の歩法や身法の霊活性に非常に有益である。

伏虎樁:これは大きな歩幅を取る丁八樁で、体力を大きく消耗する。必要に応じて身法を調整し、小丁八歩から大丁八歩へと徐々に移行することができる。この樁は静力性の功力の鍛錬に適しており、整体発力の助けとなる。站樁時、両腕は空中に吊るされているような意が必要で、両腿は地球を引き裂くような勢を持ちながら、分裂させない。合わせたくてもできず、開きたくてもできない状態である。または、両手で虎の首を捕まえ、両腿で虎に跨がる意がある。虎は必死にもがくが、微細な肢体の動きでそれを控制する。または両足が虎の体に、両手が虎の頭に挿入しているような意がある。虎は猛烈に吠えるが、無力である。この樁は形から見れば站樁だが、意識上は「動」の状態にある。

降龍樁:この樁式に慣れると、体内の意感や勁感が質的に変化し、膨張感、麻痺感、充実感が骨髓や筋肉の深層にまで浸透する。手は熱感を持ち、風が吹くような「フー」という音があり、関節部分は「パチン」と鳴る。自我の力の効果は、体が特別に放松しており、通常の松とは異なる本当の松である。放松の程度は、体の各骨が接続されているようでありながら切り離されているような感じがあり、体の一部または全体に軽やかで重い感覚があり、両手、両腕、そして全身が外界の空気と摩擦を起こし、自身の気と宇宙の気が合一する感覚がある。

三、内勁場勁力之形式

王薌齋先生は指摘している。「一切の力量は精神の集結であり、周身に含蓄があり、密接に結合され、一致して用いる」「私の40年間の体会と実践から、各種力量は全て混元の広大さ、空虚無我から生じると感じる」。これは、多層次の樁功と試力の訓練を経て、自身の精神が壮大で空虚無為であり、毛髪が戟のようで、筋肉が道放し、混噩と一致することを示している。この身には至る所に力があり、多様な力が統一の中にあり、一つの「場」の中に統合されている。以下に代表的ないくつかの力を分類し、簡単に紹介する。

全体的な特徴として、大成拳の内勁には金、木、水、火、土の五行の力がある。王選傑先生は「大成拳功法与実作」の中でこれを解説している。全身の筋骨が強実で弾力があり、金力と呼ばれる。全身に多面的な力があり、偏った力がないのが木力である。全身の筋肉が「盤内の珠」のように不定に動くのが水力である。手の発力が爆弾のように激しく迅速であることを火力と呼び、全身が重厚であり、泰山のような重さを持つのが土力である。

相手に与える効果から見ると、以下のように分けられる。

1、発放力。その効果は、相手を倒すか弾き飛ばすことであり、相手は痛みを感じない。交手すると、相手は何が起こったのかまだ分からない内に投げ飛ばされる。実践時には、意を遠くに向ける。例えば、香港のムエタイ名家の劉生と王選傑先生が対決した時、王先生が劉生を控制した後、突然両手を前に振ると、劉生は2丈も吹き飛ばされたが、何の傷も受けなかった(『搏撃』1986年第1期第4ページ参照)。

2、穿透力。その効果は、相手に重傷を負わせることである。打撃時、相手の身体の位置は変わらないかわずかに変わるが、勁力は相手の身体の内部へと穿透する。例えば、前胸に打つと、相手は背中が痛むか、内臓が振動する。実践時、私の拳や腕は相手の背中を突き抜ける意がある。例えば、1938年12月のある日、日本の武士杜鞭が王薌齋先生に挑戦状を送った。先生は勇敢に応じた。杜鞭は技術が高く、残酷で、戦いの際、王先生を死地に追いやろうとしたが、先生は「微かに身をひねり、退く中で発力し、杜鞭は叫ぶ間もなく、その場に倒れ、昏倒した」(「『人天地』1986年第3期第16ページ参照)。

3、発放穿透力。その効果は、相手を倒すと同時に、相手の内臓を傷つけることである。発放性と穿透性を合わせた力である。

内劲の表現形式には以下のようなものがある。

1、蓄積力:蓄えて待発する力。骨は棱を蔵し、筋は力を伸ばし、力は鋒に蓄えられ、ばねでないところがない。接触すればすぐに爆発する。

2、整体力:「内勁」が満ち溢れ、上下が一斉に動き、全身の気血が同時に鼓蕩して生じる一種の整体勁力。

3、渾元力:整体力の基盤の上での多方面の力で、全身の力が平衡かつ均整であり、操作時は力不出尖であり、瞬間的に自身の多方面の勁力を相手に作用させる。

4、二争力:ニュートンの第三法則に基づいて、反作用力を利用する力。前に力を発する時は、前に出る前に後ろに下がり、後ろに力を発する時には前方に反発力が必ず存在する。この力は単に前方に力を発するよりも効果がある。これに钩挂の意と呑吐の意がある。他の方向の二争力もこれと同じで、二争力を行う時はほぼ同時に完成する必要がある。

5、鞭力:自身が松柔で、鞭のように相手を打つか撃つ力。この力は霊活で、穿透性が強い。横撃、下劈、掖掌などの手法に応用できる。実践時、両脚と地面との間は鞭柄のようで、全身が鞭のように身から腕、手へと打ち出される。

6、弾力:訓練時には自身の弾性を高める。王薌齋先生は「全身がばねに似て、敵に触れる際にはばねのように蓄えて発し、敵を弾き飛ばす」と形象的に比喩している。

7、磁力:金属を磁石から取り除く時のような引力がある。磁体が大きいほど磁性が強く、引力が大きい。訓練を通じて、体の重心と地心が「引力」を生じる。高度に放松すると、「磁力」は柔和性を持ち、「内勁」は引力性を持つ。相手と推手をする時、相手は自分の身体に原位置へ戻る力、即ち磁力を感じる。

8、纏綿力:太極拳の柔化の力に似て、全身が極めて軽柔で、蚕が糸を吐くように絶え間なく続く。始まりも終わりもなく、敵がどのように変化しても攻めることができず、逃げることもできない。

9、驚(=惊)力:『大成拳論』には「動く時は怒れる虎が山から出て獲物を捕らえようとするようで、全身が霊蛇の驚くような様であり、また火に焼かれるような素早さで、更には蛰龍が横に激しく飛ぶような神気を感じ、筋肉が火薬のように激蕩し、拳は弾のようで、神気が微かに動けば鳥は飛べない」とある。実践時は、身が火に焼かれるようで、その素早さは閃電に似て、驚中に震え、震える中に驚きがある。

10、螺旋力:全身の大小の関節に支撑力がある、全ての部分が鈍角を形成し、膨張しようとしながらも収斂しようとする。全身が螺旋状に動き、触れる者を遠くに投げ出す。

その他にも、開合力、輪軸力、滑車力、重速力、定中力、撑抱力、惰性力、三角力、杠杆力、斜面力、吞吐力など多種多様な力があるが、拙文ではこれ以上詳述しない。

『大成拳研究1989年第1期』より