意拳浅談

意拳/大成拳を研究しています。翻訳は意訳です。

達人への道―中国武術の秘技

奇才拳学家王薌齋の技術

  • 登場する先生
    • 于鴻坤
    • (西松正彦)
  • 内容
    • 再現! 王薌齋の学んだ幻の老三拳
      • 王選傑伝大成拳站樁
      • 郭雲深が王薌齋に伝えた站樁
      • 郭雲深が王薌齋に伝えた老三拳
    • 于鴻坤老師インタビュー

印象に残った言葉

王選傑老師に軽く打たれただけで呼吸が出来なくなってしまったこともある。それでも私は若かったので、その晩に再度挑戦した。しかし王選傑老師の構え、目の力を見てすっかり萎えてしまった、これは「目撃」(※目の力でうつ)だ(于鴻坤)

私は王選傑老師と常志郎老師のお二人に就いて大成拳を練習したが、孫子の兵法に例えるなら王老師は「正」、常老師は「奇」だ。どちらも優れた技芸だ。両極端の二つを合わせることで王薌齋先師になれる。だから王先師の歩いた道をいくら忠実に辿ったとしても王先師のようにはなれない。他に何か優れたものを持っていなければ(于鴻坤)

(意念を重視する北京系の意拳との違いについて)心法とも関わってくるが、人と対した時、原始状態(ニュートラルな心の状態)であるべきだ。そして天人合一とは宇宙と我を一体化することだ。それには通電する物質としない物質があるのと同じように誰でもできることではない。それには心を開いてリラックスした状態になれなければならないのだ(于鴻坤)

意拳に残る五行拳などの套路について)身体の中のエネルギーができれば、それを放つだけだ。形に捉われてはいけない。たとえばこのように(掌を前に出して)したとき、常に前ばかり意識していてはいけない。相手は変化するものだからであり、天人合一を阻害するものだ。(中略)動作は標準化してはいけない。少しでも自分の状態が変われば同じやり方では打つことができない。感覚が分かればもうその動作を繰り返し練習する必要はない(于鴻坤)

有形から無形になるのだ。通常は形→勁→意→神とよく語られるが、本来はこのような段階的なものではなく同時並列にあるものであり、ひとつも欠けてはならないものだ(中略)そしてそれぞれに「大」「小」「顕」「密」がある(于鴻坤)

エネルギーを伝えるには準備はなく固定化された形も技もなくただ爆発するだけだ(于鴻坤)

意念でコントロールするわけではない。最初は意念がもの(人体の四肢)を動かす。しかし動けばこの意念はもう必要ない。新しい意念が生まれてくる。出て来てしまえば捨てる、これを繰り返すことでどんどん高度化してくるのだ(于鴻坤)

(大成拳(意拳)の最高境地について)「神全」という言葉で表される境地だ。精神の集中が近い意味になる。真の武術家はどこで誰といても一体化できる(于鴻坤)

勁と形、それにリズムを合わせる。詳しく言うと声と呼吸と勁と形を合わせる。これは「声撃」だ。これは誰にでもできるものではないし、また誰にでも効果のあるものでもない。呼吸の振動と声、それと形を合わせる。勁と言っても力は使わない。呼吸とリズムを合わせる、最初は声も出すが、徐々に無声となる。先ほど言った意念と同じでできるようになったら必要ない(于鴻坤)