意拳浅談

意拳/大成拳を研究しています。翻訳は意訳です。

要論四(『岳武穆形意拳術要論』より)

身や気の論から外れ、梢について進めてみる。梢とは身体の端である。身体について初めて話す際、この部分は触れられず、気についても稀にしか論じられない。捶は内から外に発し、気は身体を通じて梢に達する。故に、気の用は身体に基づいていなければ、虚であり実でない。梢に現れなければ、それは実でありながら虚であり、梢もまた講じなければならない。しかし、これは身体の梢に過ぎず、気の梢にはまだ触れられていない。四梢とは何か? 一つは髪である。髪については五行に列挙されず、四体にも関連しないため、論じるに足りないように思われる。しかし、髪は血の梢であり、血は気の海である。気について髪を基に議論する必要はないが、血から離れて気を生み出すことはできない。血から離れないのであれば、髪にも当然関係がある。髪が冠を突き抜けるようになれば、血梢は十分足りる。また、舌は肉の梢であり、肉は気の袋である。気が肉の梢に現れなければ、その気の量を満たすことはできない。したがって、舌が歯を促そうとすれば、肉梢が十分に足りなければならない。骨梢は歯であり、筋梢は爪である。気は骨より生じ、筋と連なる。歯に及ばなければ、筋の梢にも及ばない。これを足りるようにするためには、歯が筋を断ち、爪が骨を突き通す能力が必要である。このようにして四梢が足れば、気も自然に足る。虚でありながら不実、実でありながらも虚であるということはなくなるだろう。