意拳浅談

意拳/大成拳を研究しています。翻訳は意訳です。

月刊秘伝2004年12月号

至誠の武人 澤井健一が残した道

印象に残った言葉

「澤井先生の指導で印象的なのは腕を捻る事で相手を捕らえて打ち込む打法ですね。これは、受けて打つではなく、受けと打つのを同時で行うのがポイントなんです。ただこうした技は局面で出すと言うのではなく‘‘結果としてこうなる”ということを頭に置いて稽古をしないといけませんね(ジャイアント吉田

(澤井先生との出会いについて)私はその頃はもっと筋肉隆々だったんですよ。それで澤井先生が私に思い切り腹筋に力を入れろっておっしゃられてから、私の腹に拳を打ち込んだんです。そうすると衝撃が背中に突き抜けたみたいな、イヤな感じがした。これは凄かったです。内臓がおかしくなったんじゃないかと思うぐらいでした。手を腹に当てて打ち込まれたんですが、これが距離を取って打ち込まれたらどうなっちゃうんだろうって思いますよね(ジャイアント吉田

澤井先生の打拳はスピードもそうですが全身を一体にした破壊力を感じました。よく"気魂一体"と言いますが、まさにそれですね。体重が綺麗に移っているのが判りますね(ジャイアント吉田

(澤井先生の)探手は凄く早かったです。見えない敵を薙ぎ倒す感じで圧倒されました。もう獣が全身で襲いかかるような感じ。身体の中から力が溢れて、うねるようで、いま改めて見ても凄いですね(ジャイアント吉田

(柔道と太気拳は)別じゃないんです。フワッとした動きでもストンと技に入れる。これは柔道に大切なことですが、澤井先生の動きでもあるんです。太気拳は柔道にもおおいに通じますよ。それに澤井先生と三船先生に共通する、なんというか"一瞬の気“がありましたね(ジャイアント吉田

稽古をしているときにはおそらく殺気なんかないですよ、澤井先生にも三船先生にもね。そんなに簡単に殺気なんて出せるものじゃない。でも本当に士壇場になったときに、もの凄いものが出るんではないかと思わせる気迫を持っているという点は共通していると思います。やっぱりお二人とも気と技の人なんですよ。身体が大きいとか、力が強いとかではないんですね(ジャイアント吉田

空手時代、大きな先輩に負けると「もっと速くなろう」と考えました。ただ澤井先生の場合、何かしようとした瞬間に「やめなさい」と制せられてしまう。それが先生の特殊な部分ですね。気持ちで動きが起こる前に制してしまう(ヤン・カレンバッハ)

ほとんどの人は直接身体に伝わったものをエネルギーだと考えているでしょう。でもこうして話している中でも、私はここに居る人のエネルギーを感じています。これも澤井先生が伝えたかった事だと思いますね(ヤン・カレンバッハ)

澤井先生は小柄でしたが知性と感覚があったから、自分の力を自由に出して、相手の力も自分のものにしていました。先生はこれを”アイキ“という言葉で説明され「戦いとは速さと力に、知性と精神が大事だ」と仰っていました(ヤン・カレンバッハ)

また太気拳では"差し"という動きがあります。これは相手の動きに合わせ防御と同時に攻撃するものですが、これも攻撃されたから動くのではなく、そのエネルギーを感じた時に動くことが大事なのです。それは”払い"でも同じ。相手のエネルギーを感じて最も良い方法で対処する。"差し“”払い“"迎え"こうしたエネルギーに感応して生まれる動きが、太気拳の技だと言えるでしょう(ヤン・カレンバッハ)

打つか打たないかを考えない。自然に出るものなんです。そうしたものの先に"無"があるのだと思います(ヤン・カレンバッハ)

大事なのは巨大な力を生み出すことじゃなくて、力をコントロールすること。例えばこのテーブルをひっくり返すのなら、どの位の力が必要かを感じて行う。力を使える状態にしてそれをコントロールする。避ける、打つ、話す、歩く、全部に共通しますよ。宮本武蔵と澤井先生のセオリーはとても似ていますね(マーシャル・マクドナルド)

立禅は、その人の習熟度など大体見ただけで分かりますが、少なくとも腕に触れればすぐに分かります。この「相手に接触する感覚」は大事ですよ。形や意味を限定してはいけませんが、膝と股関節は伸びず曲げすぎず、全身が一つにつながった感覚を得られるちょうど良い場所(形)を探ります。それはやっていれば自然に得られるものですが、初めはバネをギュッと縮めた時のように、各関節に力が溜まるように意識すると、脱力していてなお全身が締まる感覚を掴みやすいでしょう。そこに生まれる空間は前方のみならず、後方からの攻撃をも察知するような、全身にまとわりつくイメージを持つことができます(島田道男)