意拳浅談

意拳/大成拳を研究しています。翻訳は意訳です。

月刊秘伝2005年9月号

内功探究で交錯する

  • 登場する先生
    • 島田道男
  • 内容

印象に残った言葉

思った瞬間、打ってないと遅いんだよ(島田道男)

(相手がいることが武術の難しさかという問いに対して)いや、そんなことはどうでもいいと思ってるんです、私は。そうじゃなくて、本来武術では神経を緊張させていったり、力を蓄えたりすることを学んでいくのに、それが結局、外側と内側の動きがバラバラで、みんな抜けている。中身がないんです(島田道男)

ピンッ!と跳ねる魚みたいな神経はあるだろうね。殴る時は間違いなくそうなってる。私にとって空気は水の中と一緒で、そこをスイスイ泳げるから強い、それは確かにそうだと思いますよ。ギリギリまで力を抜いて、全身に烏肌が立つような状態でリラックスすれば、力が解放されて全身が動くようになる。とにかく手で打っちゃ駄目なんです。力を入れたら全てが無に帰すから、全身で打たないと(島田道男)

澤井先生の動きには剣の感触があって、パパパッ!て完全に切り替わっちゃってるから、細かすぎて外からじゃわからないんだよ(島田道男)

澤井先生が言ってたのは、たとえば「差(練)」の練習をやる時に、「針の穴の中を体が通るように」と。その時もちゃんと素直な気持ちで、本当に穴の中にシュウーツと入って、そっからまたフワッて出てくるような感触を持つ。その時、手で差すのではなく、中ですり合わせるような感触を味わって差す。体の中と気分を動かさないと、中の動きが出てこない(島田道男)

打とうと思ったら駄目。パンチの軌道をイメージしたら駄目なんですよ、その時点で力が入っちゃうから、もう全身では打てない(島田道男)

今考えると、太気拳は(意拳の)古い時代のものかなという気はしますね(島田道男)

王向斎先生にしたって晩年は腰の高いタントウをやっていたけど、若い時に深く腰を落としたタントウをやって、すでに「出来て」いたから高い姿勢でも良いわけであって。いきなり腰の高い禅をやっても、たとえば王向斎先生が言ってた「アバラを縮める」なんて感触は味わえないと思うけどね(島田道男)

あくまでも禅の状態で、「中で殴ってる」っていう感触になる(島田道男)

アレは何ですかねえ、でっかい木のある所に行くと、額のあたりがカッと熱くなるっていうのは。森の中に行くと、空気から水の中に入ったように、全身がワッとした状態になる。特に明治神宮はいいんだよね(島田道男)