意拳浅談

意拳/大成拳を研究しています。翻訳は意訳です。

「争力」乃不伝之秘:須自抽象中求

人生ほとんどの時間は動的状態にあり、動作があれば必ず筋肉に関係する。筋肉には随意筋と不随意筋の二種類があり、不随意筋は精神的影響を受けるが大脳から直接指揮されるわけではない。普通の動作で使われる筋肉は主に随意筋である。

しかし意拳の練習では、随意筋の錬磨において、時に大脳の直接指揮のみでは適切な目的を達成できず、抽象的な意念に頼らねばならない。換言すれば、意拳の錬磨は随意筋の動作が多いが、時として大脳の直接指示だけでは力の加減が過ぎたり足りなかったりするため、要求された程よい結果が得られない。そこで抽象的な意念を通じて、鍛錬の目的を達成せねばならないのだ。

特に争力の練習では、抽象的意念の仮借がより重要となる。最初に站樁を説く際にも触れたが、意拳の鍛錬は全て抽象の意念から求めなければならない。ここで論じる争力とは、精神と肢体を錬磨するだけでなく、実践時により大きな、常態を超えた威力を発出できるようになることが最大の目的なのである。

試力の項で、試力を練習している内に動作に阻力を感じ、長く練習すればするほどその感覚が強くなり、そうなれば争力の練習に移行できると述べた。

争力は二争力とも言う。字義から分かるように、同時の動作で相反する方向の力を発出することだが、争力の鍛錬はそう単純ではない。意拳の争力は大きな動作ではなく、ほとんど微細で見る者にさえ気づかれないほどだからだ。それゆえ体得が難しく、習得も容易ではない。だから抽象の意念に頼らざるを得ない。

意拳の文章ではしばしば争力が言及され、薌齋先生も教授の際に繰り返し触れ、門人たちにも馴染みの言葉である。しかし意拳の要求に全く合致した正しい争力を実際に体現できるのは、恐らく十人に一、二人といったところだろう。争力が容易過ぎて真似はできても形ばかりで本質を誤るものがいれば、逆に過度に難しいと考えて手を付けられないものもいる。そこで「争力は意拳の不伝の秘」といわれる。しかし本当に秘があって伝えられないのなら、薌齋先生が教授時に常に口にし、文章にも再三書くはずがない。

私が争力を体得したのは、思いがけない形だった。1950年の冬、朝は公園で站樁の練習をし、昼は宗勲学長の元を訪れるのが習慣となっていた。ある日、宗勲兄の友人の王君が来訪した。王君も意拳の愛好家で、かつて少林拳形意拳を数年学び、相当な腕前だった。炭坑で少東を務めていた商売人で、余暇には自宅で弟子を受け入れていた。宗勲はすでに薌師から学んでいたが、名を聞いて王を訪ね、学ぶつもりで来たと偽り、王の功夫が使えるかどうかを尋ねた。王はもちろんと答えた。王が招を出したとき、宗勲が手を出す間に王はすでに勢に応じて起こしていた。

当時の北京の旧居には庭園にブドウの木があり、夏は日陰を作り、冬は若枝を剪り詰め、太い幹は土に埋めて寒さを避けていた。宗勲と王が比試した際、曲げられない太い幹のために作られた長細い土垣に王はひっくり返った。

拳を授ける者がこのような状況を経験すると、弟子たちは去ってしまうのは無理もない。王君も拳を教えるのは単なる余技的趣味だったので、より良い拳法の道が開かれたとばかりに、すぐさま宗勲の門へ入った。私が王君に会ったのは、彼が宗勲を知って数年後のことだった。宗勲との往来は数年に及び、薌齋先生にも会っていた。旧学は全て捨てたものの、意拳の修行が理想通りには進んでいなかった。宗勲は語らないときはほとんど語らないが、語る時は真剣そのものだった。しかし王君は数年の往来を重ねても、いまだに争力の一関を乗り越えられずにいた。

そのため宗勲は私に「真理を伝えるのは私の責務と考えているが、私自身その恩恵に浴してきたのだから、親しい者にも広めたい。しかし時として、かえって人に迷惑をかける結果になる。王君のようにいったん旧学を捨て、新しきを受け入れられぬようでは、かえって負担になってしまうのではないか」と語った。そして「拳法の追求は別としても、王君には特に腰腿の功はあった。長らく期間が空いても今なお凄味はある」と言い、すぐさま四十を過ぎた王に一字馬を見せてもらった。年齢に関わらず、軽快で滑らかな一字馬だった。

その後宗勲は再び王に争力を解説し、最後に「渡れない川はない、もっと試し続けさえすれば、遅かれ早かれ必ず要領を会得できるはずだ」と励ました。

私はそばで聞き、基本動作も試してみた。すると宗勲は「あなたの現在の境地では争力の練習は早すぎる。今日聞いただけでも印象が残れば良い。拳術の要領は思わぬ時に偶然得られることもある。早く聞けば、早く機会が訪れるかもしれないからだ」と言った。

王は何度も争力を試しては失敗し、私も同様だった。意拳の求める短く整体的な整勁を出すのは難しかった。そこで私は鏡台の前で練習することにした。するとふと宗勲が「今の動作、合っている! これを覚えておけ! これが一般にいう不伝の秘訣である」と言った。私は分かったようで分からなかったが、その時の感覚を強く心に留めた。のちに南方で再び意拳の修行を始めた際、ただその記憶の中の僅かな感覚を頼りに、試行錯誤を重ね、やがて争力を自在に扱えるようになったのである。

意拳の求める争力は勁であり促であるが、形式的に作り出しては本来の範疇を逸脱してしまう。だから抽象の意念に頼らざるを得ない。

初めて練習するときは、技撃樁の姿勢から始める。前後の両手にそれぞれ一本の縄が結ばれていると想像し、その縄は首の後ろでつながっている。両手の指の先端にも、それぞれ巨大な目標物へと結びつけられた縄がある。この目標物としては、巨大な木や建築物などを選ぶことができる。その後、首を中心にして後ろに微妙に争力を用いると、首の後ろにある環を通した縄が両手を牽引し、手指の先端にある縄がその目標物を牽引する。しかし、微力を使うことを忘れず、意念の中でわずかな動きを感じることができれば十分である。意拳の用語に「用意不用力」とあるのも、これを指している。動作中には「意」の真実性に注意し、動作そのものよりも、動作の結果に過度に注意すべきではない。したがって、動作は小さく、わずかな牽引を感じたらすぐに止めるべきである。意念を放松させた後、自然と前方への微力が反発し、首は自然に元の位置に戻ることを感じる。このようにして繰り返し練習する。

練習時は、力を用いるよりも意を用いることに注意を払わねばならない。特に初心者は抽象的な意念で動作を導くべきで、「争力の動作は意念の誘導によって自然に形作られる結果である」と考えるべきであり、故意に力を入れて作り出そうとしてはならない。そうでなくてはかえって動作が大きくなり、求められる争力とは程遠くなってしまう。

意拳が易しく学びつつ理解が難しいのは、動作は単純であるのに要求が厳しく、過ぎても不足しても目的を果たせないためだ。争力の練習はそれに劣らず難しい。だから練習時は、抽象の想像の中で意念に力を注ぐべきであり、決して「力」に手を付けてはならない。初めは失敗を重ねるだろうが、いつかは思わぬ形で体得できるはずである。

争力は、あまり熱心に追求すれば追求するほど、知らず知らずのうちに「力」を加えがちになり、正しい争力を掴めなくなってしまう。

争力が正しいかどうかは、争力を体得した者でなければ、見ただけでは分からないため、自分自身では確かめようがない。他人に正しい争力だと指摘されて初めて、その時の僅かな感覚を手掛かりに、以後の練習の基準とすることができる。これも争力が求めがたい一因である。

争力の正しい、本当の感触はどのようなものか? 私は語らないわけではない。ただ、十分に適切に表現することができないのだ。文章で説明しても、人によって理解や感じ方が異なり、正しい結論を得られないからである。誰もが経験があるはずだが、言葉や文章で明確に表そうとすれば、同様の難しさを感じるだろう。

僅かに言えば、争力を初めて得た時の感触は、「整」と「勁」である。しかしこの整と勁は、自身の抽象的意念に導かれた繊細な動作から生まれたもので、自然発生的なものではない。争力を得た後、長く練習を重ねて応用が純熟してこそ、自然発生的な力と合わさって争力が強まる。だがそのためには動作を大きくしてはならない。動作が大きくなれば、もはや本当の争力ではなくなってしまう。

固定の姿勢から争力を得られたら、他の姿勢や動作にも応用していく。しかし初めはうまくいかないかもしれない。練習を重ねれば、どの姿勢や動作でも応用できるようになり、同じ動作の中で異なる方向の争力を同時に発出できるようになる。意拳の正統では「静止時は周身に一貫した力となり、動く時には大小の関節の至る所に上下、前後、左右、あらゆる方向の二争力があり、そうでなければ全身の渾元力は得られない」と言う。

意拳の先輩、斉執度が書いた『拳学新編』には次のようにある。「力が一中を争うとは、相乗の力を言う。その力は争力、または渾元力と言い、全身の至る所が上下左右前後四隅の相乗の力を均等に備えている。初歩の試習では、二争力を求めるべきで、手を伸ばす時には、同時に前は伸び後は引き(=撤)、上に持ち上げ(=托)下に押し下げ(圧)、外に支え(=撑)内に巻く(=裹)、という相乗の力がある。一つの中心から異なる方向に発して、相等相乗である。二争力を悟ったなら、全身の各部分が同時に全面から力を生み、相乗しないところがなく、混元一致し、一心で共争し、気力が貫通し、全身に空隙がない。拳においてこの争力を得ることができれば、神気と意力の真実の合一を実現できるのであり、その後で中を得たとも、力を得たとも言えるのである」。これらはいずれも争力を適切に表現している。

試力の項で述べたように、意拳の高い段階の鍛錬では、発力時に「争力」は常に備わっていなければならない。

薌齋先生は教学の中で、しばしば「この拳術は本能を目覚めさせ、本能を鍛錬し、良い習慣を身に付けさせるものだ」と言われた。文章の中の「拳拳服膺」とは、意拳の実践者に業に精励し、刻々拳に志すようにと促すものである。言外の意味は、意拳を修めれば、ある段階に達すれば本能的で習慣化した動作ができるようになるということである。争力の応用についてもそのようであるべきである。

言い換えれば、意拳の発力には争力、即ち爆発力が含まれていなければならない。実践に話を及ぼせば、関連する所は多い。惰性力や鼓蕩作用、大気阻力など仮借力量との適切な配合が、より大きな威力を発揮させる。これは文字で述べるだけでは表せず、一言二言では語り尽くせない。

また、一点説明しなければならないことがある。意拳を練習する者は皆、争力とは二つの方向への相反する力であり、同じ時間に、同じ点から異なる方向へ牽引することを、二争力があるという。実際には、これは初心者が理解しやすい最も簡単な説明である。

争力を用いる際は、本来多くの争力の組み合わせに属する。一つの争力があれば、どこでも争力があり、一争すれば争わないところはなく、単に二力が争うほど単純ではない。したがって、全身が争力であると言われ、さもなければ爆発力という概念も存在しなかっただろう。

先に引用した斉執度が『拳学新編』で言った「共争一中」とは、二争力をさらに発展させた言葉である。

ここで、『習拳一得』から争力に関する一節を抜粋し、研鑽の参考に供したい。

「運動時は、ゆっくりと思考し、内外を適切に配置し、変化には軽やかに移り、慌てることがない。全身の筋肉は骨を支撑し、梭尖を放つ。態は書生や若い女性のようでありながら、その偉大さは楚の項羽に匹敵する。一声で叱咤すれば、風雲が響き渡り、雲霄を突き抜ける。神情は豪放で、雄々しく壮大であり、敵に遭遇すると、虎や狼のように接触する。歩みは軽重があり、千丈の谷を踏んでいるように。一面は鼓、一面は蕩で、全身ばねでないところはない。歯は合わせ、足は掴み、毛髪は金槍のようでち、一本一本が光り輝く。神光は周身で離合し、旋回し、水の波のように絶え間なく、汪洋の中を無尽に縦横する。天地のように果てしなく、太倉のように実り豊かで、心地よく広がる。一度触れれば、直ちに緊張する。火薬の爆発のようで、爆発力は意のままに発する」

この一節は激しい対比に満ち、著しい矛盾、つまり薌齋先生の常々言う「矛盾の矛盾」を述べている。極静から極動、緩から緊へと変わる。一時は小心翼々で、一時は直往する。総じて言えば、放松した準備状態から発力時の緊張状態へ到り、その二つの間の突然の転換を描写している。その突然の変化は刹那の間である。

ここで描かれているのは、実戦の発力前と発力時の様子であるが、まさに争力が整体運用された時の有り様を表している。

多くの意拳を練習する者や、意拳を教える者は、争力が難しいため、その動作を遅く、大きくする。大きく、遅くすることで制御しやすく、練習しやすくなると考える。しかし、このような自己満足の方法は、足を削って靴に合わせるようで、争力を求める目的には決して達成できない。露出する形はすでに争力ではない。意拳が求める正しい争力は、絶対に大きく、遅い動作の中で求めることはできない。そして、自分が既に熟練していると思い込むと、それがすでに習慣になってしまう。急ぐこともできず、小さくすることもできない。さらに、大きく、遅くする動作の中では、争力の真の感覚や、真の意境をまったく体験することができない。

そのため、多くの意拳を練習する者は、多くの努力と時間を無駄にし、「争力」を行っても、まだ不格好で、似て非なるものである。

また、一部の意拳を学ぶ者は、冷勁を争力と誤解している。冷勁とは、一方向に対して、松から緊へと、突然発される短勁で、一度発するとすぐに尽き、続けることが難しい。争力は再び強く続けられ、断続しない。そして、修行が高まるほど、動作は小さくなり、勁力も速くなる。発力時は星火のように速く、触れた瞬間に発し、発したらすぐに止まり、連続している。運用時にも軽松自然である。

「習拳一得」にある「渾身尽争力」「一触即爆発、炸力無断続」はこのことを指している。

意拳の発力は、本来様々な仮借力量の総合である。実戦で、相手が混乱し、全身を震わさせて跳ね上がるのは、まさに争力の作用による。

湯又覚『意拳浅釈』意拳研習会より