意拳浅談

意拳/大成拳を研究しています。翻訳は意訳です。

王選傑先生の著書『大成拳実作捷要』

大成拳の主な特徴は技撃性が強く、交手や実作の中で各種の拳法を自在に使いこなすことができる。体の面から言えば、空寂無為で一法不立である。用の面から言えば、感じればすべてに応じ、どこにでも法が成立するとも言える。即ち定法のない拳法である。その静は山岳のように安定しており、その動は海潮の波が返すようであり、一静一動の間はまるで虚空の風雲のように変化が予測できず、相手が技を施すことを難しくさせ、英雄でさえ武を用いる場所がないと言われる。大成拳の功法には大まかに七つがある。站樁、試力、走歩、発力、試声、推手、実作であり、「七妙法門」とも称される。一般的に站樁、試力、走歩及び各種の単操手の練習の後には、初級の実作訓練を行うことができ、高級の実作は推手、発力及び試声を経た後に完成する。具体的な分け方としては大まかに五つの段階があり、即ち小乗、中乗、大乗、上乗及び最上乗の実作である。

一、小乗実作

1、身法要求:小乗の実作は、「守中用中」の前提の下で、一定の間架を備え、自身の円整、篤実の力を保つこと、すなわち「形不破体、力不出尖」であり、手を出して発拳するか、または閃いて素早く移動するにしても、自身の間架が散じないようにし、歩法を乱さないようにする。進退を自在にし、全身を協調一致に保ち、一部が動けば動かないところがない整体運動を形成する。

2、度勢奪勢:交手する際には、「己を知り、相手を知る」ことが重要であり、相手のよく用いる拳法、脚法を理解しておくべきである。そうすることで自分の長所を活かし、敵の短所を制することができ、いわゆる「相手の鋭気を避け、相手の惰帰を撃つ」である。手を出すのが先か後かに関わらず、常に敵を制することが先であり、これは王薌齋先生が言われた「相手が不動であれば、己が微動し、相手が微動すれば、己は慢動し、相手が慢動すれば、我は先に到り、相手の力が到れば、己は既に発している」である。

3、臨戦要領:双方が交手する際には、相手の眉間に注意するが、じっと凝視してはならず、「観視」がよい。これは、散歩の時に花を観るような感じで、このようにすると精神が執着せず、また相手の要害を明確に見ることができ、相手の双手の変化に妨げられることがない。足は進退自在であり、両手は連環して使用し、進んでも拳を発し、退いても拳を発する。攻中に守があり、守中に攻があり、攻防が適切であり、攻防が相応し、間架が散らず、歩法が乱れない。身形の変化は肩と胯の動きから生じ、歩法の進退は敵を克服する必要から生じる。進むときは機を得て勢を得て、退くときは実を避けて虚に乗じる。単双重を避け、前足が虚であれば、後足が実であり、または後足が虚であれば、前足が実である。同時に、「前足が進めば、後足が続く。後足が引けば、前足が戻る。左右の划歩も同様で、進退は中和均を失わない」ことが要点である。

二、中乗実作

1、基本要領:中乗の実作は、一般的に兵法の中の奇正理論を基礎とする。いわゆる「奇」とは、予期せず勝利をもたらす意を指し、交手の実作の際には「静は処女のように、動は脱兔のように」となるべきである。動静の中で、雷で耳を覆う暇もないほどの勢で、突然不意に攻撃して相手を驚かせ、相手を防ぎきれないようにし、受動的な立場に置く。いわゆる「正」とは、自身の篤実な功力を用いて、硬打硬進し、時機を逸することなく相手を打つ。避けたり回り道をする必要はない。これは、形意拳における「硬打硬進すれば遮るものがはない」の実作方法である。

2、守中用中:交手する際、固定された間架の配備を強調せず、自身の中線を守る前提の下で、可能な限り相手の中線部分を制御し打つ。その間架は「守中用中」の前提の下で、機を見て相手を打つ。拳打、頭突き、足蹴り、肘打ちなど、何でも良いが、相手の中線を打つ目標とするべきである。

3、声力並発:双方が拳を交える際、拳を出し発力する際に「声撃」を伴うべきである。したがって、試声の功夫を基礎とする必要があり、具体的な応用としては、相手と接触する直前に声を出し、息を吐きながら相手の心を乱し、精神的に相手を威圧し、声を出すと同時に発力し拳を出す。声によって自身の「内勁」を刺激し、拳が敵の身体に触れた後はその力が敵の背中に透する。故に大成拳で人の前胸を打つと、後ろの背中が長く痛んで不快になるのは、これが理由である。

4、推手応用:推手の技術が熟練している場合、実作交手の際には、推手の技能を利用して勝利を収めることができる。すなわち、自分の両前腕や手首の動きで相手を制御する。一般には相手の対応する部分を制御することが多い。相手の両手が縄で縛られたようにして拳を出せないようにし、進退窮まる状態に陥らせる。この基礎の上で、自分は思いのままに相手を打つことができるが、相手を制御する際には「手を出す時はやすりのように、手を引く時は鉤のように、力を空発せず、意を空回しない」とする。これがいわゆる「粘点打人」の法である。

三、大乗実作

1、身無定形:大成拳の精神、意感、様々な力量の基礎を得た上で、作拳の際には、身に定勢がなく、手に定形がなく、足に定位がないようにする。全身の関節は形曲力直で、機を待って発する。霊活で変化に富んだ歩法で、絶えず体の重心と攻撃路線を変化させ、頭、肩、肘、手、胯、膝、足それぞれに打法があり、筋肉の松緊は適切で、変化は無方で、「筋肉は驚いた蛇のよう」であり、全身の各部はばねのようで、「全身にばねでないところはない」の意がある。

2、打法集成:大成拳は招法を語らず、固定の打法はないが、応変の打法と組み合わせの打法がある。応変の打法には、提打、鈎打、閃打、掛打、仏打、畳打、撩打、裏打、践打、截打、堵打、支力打、滑力打、借力打、捋打、迎打、螺旋力打、さらに圏歩打、引歩打、胯歩打、半歩打、整歩打、正面打、斜面打、正面斜打、斜面正打、上下巻打。左右領打、前後旋打、具体的片面打、局部的全体打、さらにすべての精神暗示と手法暗示の打法などがある。上記の各種打法は臨機応変に使い、拘泥したり執着してはならず、好みや習慣に応じて組み合わせて使用することができる。

3、神在手前:交手実作の時、まず自分の精神を放松させ、精神で相手を威圧する。「神は手前にあり、意は敵の背中を透かし、天網のように逃れることはできない」。これは形意拳の「人を打つのは道を歩くように、人を見るのは蒿草を見るように」という言葉の具体的な応用である。このようにして、まず精神と気迫で相手を圧倒し、その動作は必然的にぎこちなくなり、我の精神、力量、動作は一体化している。この境地に至れば、双手が揃って出ても、単手で進んでもよく、上を指して下に打ってもよい。明拳や暗腿、手足を併用し、顧打を組み合わせ、また閃進を統一し、神態で人を追い詰め、機を逃さず相手を打つことができれば、確実に勝利を掌握できる。

四、上乗実作
1、融会貫通:上乗実作には定法はなく、大成拳の精神、力量、霊活の基礎を身につけ、作拳の時間性、空間性、随機性を十分に把握し、拳を作る「火加減」を上手く掌握することが求められる。この時点で、百家の拳法を一つに融合させ、その精髄を取り出し、心で理解し神で感じ取ることが含まれている。それには形意拳の整体した篤実な力、太極拳の柔化の中、八卦掌の霊活の身法と歩法、長拳の冷、弾、脆、速、硬など様々な力が含まれる。具体的な応用には、伝統的な形意拳の劈、崩、鑽、炮、横の五行拳と「十二形」の用法、八卦掌の「削、掖、塌」の老三掌、太極拳の「脱粘随」の技撃法がある。また、大成拳の「穿裆脚」、「蛇形脚」、及び「夫子三顿首」の使い方は、梅花拳、弾脚、三皇砲錘の技能を吸収している。

2、万法帰一:大成拳の上乗実作では、拳術の様々な内なる力を身につけ、各派の技撃の精髄と要点を掌握し、豊富な実戦経験を持つことが求められる。この基礎の上で、大胆不敵な精神的な資質を加えると、交手や実作時に、どのような拳法を好んで使っても、変わらずに万変に応じることができる。つまり「万法帰一」の用法ができる。この打法は、功夫が極めて高い水準に達して、初めて効果的に使用できる。たとえば、拳法大師である郭雲深の「半步崩拳」は、形意拳の各種単式の力を集約し、さまざまな拳法の技撃の精髄と郭老の長年の実戦経験を含んでおり、形式的には一つの崩拳にまとめられているが、下乗の単純な招法とは本質的に異なる。動静の結合:交手や実作時には、浩の気を放ち、拳動は神を驚かせる。精神を内斂し、気血を鼓蕩し、全身の毛が戟のようになり、触覚の活力を持つことが求められる。静は動を待ち、動中に静があり、動静は相兼し、結合する。静かな時は老僧が入定するように、心が穏やかで神が安定し、動は龍や蛇が動き回り、威風堂々とし、身形の変化は予測不可能で、相手に読まれにくい。この境地に達すると、退くことで進むことができ、進むことで退くことができる。直接出て横に入ったり、斜めに進んで縦に打ったり、柔で驚かせたり、硬で柔らかくしたりする。これらの動作は、予期せぬ自然さを持ち、期せずして到る妙がある。これは「拳の本は無法で、法は空であり、一法は立たず、無法は容れられない」という上乗実作の方法である。

五、最上乗的実作

1、拳拳服膺:交手において作拳を行う際、自身は堂々と正しく、無人の境に入ったようで、またぶらぶらと歩きながら月を楽しみ、花を観賞するようだが、手を挙げたり足を動かしたりする際、暗中には常に敵に対する意が含まれている。これは王薌齋先生が言った「神松意緊」という作拳の方法である。動静において拳意から離れず、行、住、坐、卧に関わらず、一触即発で人を丈外に放り出すことができ、自身は思索せず、あたかも有意と無意の間に似る。

2、精神籠罩:双方が交手する時、手を挙げたり足を動かす必要はない。相手が我と五歩の距離にいる時、突然相手を注視し、目を電光のようにすると、相手の精神は包囲され、知覚を失うかのようになり、進退できず、勝敗はすでに決定している。動く必要もない。これは王芗斋先生の「天網のように逃れることはできない」という実作方法であり、「目撃」や「精神控制法」とも言われる。大成拳では、この境地に達したのは王薌齋ただ一人である。